ノンデュアリティの道を進んでいると、神は存在するのか?しないのか?という問題にぶち当たります。
ノンデュアリティでは、神は存在しないという考え方の方を取る人が多いです。
では、神は存在しないのか?
いいえ、神は存在します。
でも、厳密に言うなら、神は存在しなくて、存在するということになります。
ややこしくて済みません。
これは、それを語っている人の立ち位置によって語る事が異なるのが原因です。
(1) ノンデュアリティの立ち位置
この立ち位置では、私自身が全ての創造主であるということです。
そのため、古事記や日本書紀の神が存在しないということが基本になります。
なので、一般的な神は存在せず、創造主である私が神である、ということです。
(2) スピリチュアルの立ち位置
この立ち位置では、古事記や日本書紀の神が存在するのが基本になります。
そのため神社などでは、古事記や日本書紀を正典として扱っています。
なので、神社に祀られている神が存在することが前提です。
(3) スピリチュアルとノンデュアリティの両方を知っている人の立ち位置
この立ち位置は私自身です。
スピリチュアルとノンデュアリティの両方の立ち位置を経験した人はごく少人数です。
この立場から言うと、神は現れとして存在する。
日本書紀や古事記に書かれている神は、後になって現れたものです。
ですので、神々として存在しています。
ただ、根源的な神ではないということです。
ノンデュアリティで言うところの根源的な神ではなくとも、現れとしてそれぞれが神としての自身の立場を全うしているのであれば、それらは神です。
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立ち位置によって、神の存在については変わるのですが、現れとしての神が存在していることは事実であり、神社での御祭りや神輿などの行事として表現されています。
コメント
八雲さんが、「神さまによばれる」として
神社に行かれるのは、現れとしての
神さまがお呼びになっているということ
ですか?または、自分の中の神さまですか?
> もみの木さん
ケースバイケースで、神様に呼ばれていることもあれば、自分の中の神様が読んでいる場合もあります。
現れという意味では、人も現れであり、神様も現れです。
全ての存在は例外なく現れですから、現れでないものがありません。
ケースバイケースなのですね。
最近、自分の中みたいなことを感じることが
あったので、それもあるという認識でいいことが分かりました。ありがとうございました。