(1)一連の記事について
この一連の記事では、先祖供養を肯定・否定といった立場ではなく、ニュートラルな位置から、先祖供養とはどのようなものであるかを知ろうとするものです。
(2)先祖供養は輸入文化
日本古来には、先祖を祀ることはあっても、供養するという考え方は希薄です。
また、神道においても、供養という考え方は本来ありません。なぜなら、人はみな神であり、死ねば神に戻るのですから、神に戻った人を祀ることはあっても供養という考え方はありません。
ここで、"供養"について、辞書的な意味合いを書いておくと、
【供養】仏前や死者の霊前に有形・無形の物を供え、加護を願い冥福(死後の幸福)を祈るための祭事を行うこと。(Shin Meikai Kokugo Dictionary)
となります。
日本の古い文化を調べる上で、基本的な資料の一つとして、"古事記"があります。古事記の口語訳の方になりますが、一通り読んで見ました。古事記は(皇室に関する)古い歴史を記録した(国内向け)公式文書という位置づけになりますが、ここに先祖供養という考え方は存在していません。
読んで見ると分かりますが、実際のところ皇室の歴史は、権力闘争の歴史でもあり、殺したり・殺されたりということが頻繁にありますが、そこでも供養ということは書かれていません。もし、この時代の信仰の中心に先祖供養というものがあれば、多少なりとも先祖供養の話が出てくるはずですが、そういった話はありません。
それでは先祖供養は、どこから出てきたのかというと、儒教の「先祖祭祀」が原点になるようです。つまり、先祖供養とは中国の文化であり、日本はその文化を仏教と供に輸入したということです。
(3)本来の仏教に、先祖供養は存在しない
ここでは、釈迦が開いた仏教と、その後の長くに渡って展開・変容を繰り返してきた仏教を区別して、釈迦が開いた仏教(初期仏教とも呼ばれる)を「釈迦仏教」、その後の仏教を単に「仏教」として区別します。
釈迦仏教における基本思想は縁起(因縁)、四諦、八正道であり、簡単に言うならば、「苦」からの解放を目指したものであり、あくまでも現世における生き方を説いたものとも言えます。なので、ここでは先祖とか先祖供養というのは出てきません。
日本においては、仏教=先祖供養といったイメージが強いのですが、釈迦仏教では先祖供養については、語られていません。つまり、釈迦が目指したのは、苦からの解放であって、先祖供養ではないということです。
※次の記事では、先祖供養のルーツについて書きます。
(4)参考文献
●口語訳古事記 完全版 三浦 佑之(翻訳) 文藝春秋社
ISBN-10: 4163210105
古事記の口語訳としては、良く知られている本になります。
古事記について、ダイジェストではなく、全文を読んでみたい人にお勧めです。
ただ、神名がすべてカタカナ表記になっているのですが、訳者の趣旨としてはわかりますが、逆に読みにくくなっているという側面も否めないところです。カタカナと漢字の併記で記載した方が、読みやすかったかもしれません。
●ブッダ (潮ビジュアル文庫 全12巻) 手塚 治虫 (著)
釈迦仏教を学ぶ入り口としてお勧めの本です。手塚漫画なので、読みやすく理解もしやすいと思います。
ただ、漫画故にエンターティメントの部分もあり、史実に完全忠実というわけではないので、その部分は注意が必要ですが、基本的なことはきちんと押さえてありますので、お勧めの本になります。
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