「想い通り」の人生を生きたいと思っている人は多いので、想い通りの人生を生きるための方法論を書いた本や、セミナーを見つけることは簡単ですが、この「想い通り」というのが、実は成長を妨げていることが良くあります。
「想い通り」というのは、自分自身が過去に学んだことや、経験した事がベースとなって、「想い」が作られているのですが、「想い通り」に生きようとすると過去の延長線上の成長しか起きないということです。
言い換えると、想いもよらないようなジャンプをするような、大きな成長にはならないということです。
こちらの記事でも書いていますが、 「目標と無目標を使いこなす(リンク)」
真の成長とは、自分が持っている知識・経験の範囲[★A]を超えたところにあります。
予定調和というのは、事前に想定・想像できること[★A]が起きるということです。それは、想い通りと同じで、限定された成長でしかありません。
「自分はこう生きたい」「自分はこんな風に成長したい」というた想いももちろん大切ですが、人生において、時として想像もできないような、ダイナミックな大きな成長が起きることがあり、それは自分の想いや想像を超えたものになります。そこには予定調和はありません。
自分自身が想いも寄らなかったことを言われたり、見つけたり、遭遇した時、それが自分にとってネガティブに感じられるとしたら、それは、これまでの自分の枠を超えて大きく成長するチャンスです。
ところが、そのチャンスを、潰してしまう人が多いのも事実です。自分自身が想いも寄らなかったことを言われたり、遭遇した時に、それをネガティブに捉えてしまうと、その結果起きることは成長ではなく、停滞です。
自分が、遭遇した状況に対して、ポジティブとか、ネガティブというジャッジ(判断)を下すというのは、あくまでも過去の知識と経験でしかできません。そこには大きな成長はありません。
そういうジャッジを下すことなく、自分が遭遇したことを素直に受け取ってみることが、飛躍的な大きな成長の鍵になります。
コメント
まさに真っ只中です。
素直に受けとること、難しいです。。
過去の知識と経験にとらわれずに、感情に振り回されずに、素直にこの現実を受けとめられるようになったら、きっと少しは心穏やかに過ごせるのかなあと思ったりしています。
八雲さま
ブログ楽しみに拝見しています。
掲題のブログ、
タイムリーでドキッとしました。
恐れずに歩き出してみます。
ありがとうございました。
> あぐさん、おとぎバナナさん
だいぶ前にも紹介したページですが、こちらのページは参考になるでしょうか?
(以下のURLをクリックすると、セキュリティ警告が出ることがありますが、そちらは”許可する”でも”許可しない”でもどちらでも本文は読むことができます)
白隠禅師
http://www2.odn.ne.jp/~chr58670/zen_short.html
八雲さま
お返事有り難うございました。
この深いお話を、八雲さんから教えて頂いたこと自体、
「思いがけない出来事」ですが、
素直に頂戴したいと思います(^^)
誠に有り難うございました。
八雲さま
お返事ありがとうございます。
今の私にとって、あるがままを受け止めることはとても難しいです。
時々思うのですが、なにかの事態が起こる度にそのことに対して喜怒哀楽、というか感情に振り回されているのは疲れるなあ。と。
そして、同じような状況が起こっても、受け止めて前向きに歩ける人もいれば、受け入れられずに悲観的になってしまう人がいる。
これからまだまだ長い(であろう)人生、これからも何度も何度もこんな風に悩んだり苦しんだりするなんて考えただけでも辛いなあと。
教えていただいたページを読んで、改めて考えることがありました。
少しずつ変わっていきたいです。
> あぐさん
「あるがままを受け止めることはとても難しい」という想いが、物事を複雑にします。
長くなるので、記事に書いておきました。
> おとぎバナナさん
ありがとうございます。
> あぐさん
もうすでに読まれたかもしれませんが、こちらも参考になるでしょうか?
判断とは?
http://www2.odn.ne.jp/~chr58670/saiou.html
八雲さま
ありがとうございます。
お伝えしたいことがいろいろあり、なかなか言葉にできず、返信が遅くなりました。
とても深いですね。
いつも常に、その出来事が良いか悪いか、好きか嫌いかで、判断してしまう傾向があるようです。
「判断しない」ということは、とても勇気がいりますね。自分のなかで、それが私にとってどうなのか、がわからないと不安。その通りだと思いました。
以前カウンセリングで八雲さんに言われた「一瞬一瞬の積み重ね、一瞬一瞬を生きるだけ」という言葉を思い出しました。
すぐに変えられませんが、意識の変化を少しずつ重ねて、変わっていけたらなあと思います。
今回のコメントをしたことで、たくさんの気付き?考えること?のきっかけとなる材料を頂いたことに感謝しています。
ありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。
> あぐさん
> 「判断しない」ということは、とても勇気がいりますね。
あれっ?
本当にそうですか?
以前のコメントや記事で書いたのは「判断しない」ということではありません。
「判断の手前に留まる」ということです。
「判断する/しない」が起きる以前に留まるということです。
判断する以前ですから、意味づけもありません。
意味づけもないニュートラルな出来事に対して、勇気が必要でしょうか?
八雲さま
ありがとうございます。そうですよね。きっと、判断する前に留まる、ということがそもそも私にとって難しいというか、まだできていないのでそう思うのかもしれません。
昨日から、「出来事そのものを素直に見つめる」意識でいますが、、
まだまだ、、です。それに伴った想いがすぐ浮かんでしまいます。