さきほどの、“マスメディアの特性”で書いたようなことがなぜ起きているのかということについては、色々な議論があると思いますが、私なりの考え方としては、この世界が分離体験の世界であることに起因していると考えています。
つまり、統合の世界では、一人一人の個体はあるものの、ベースとして一体であることが前提であることを知っているため、自分にだけ有利なことを行為として行えないということがあります。なにしろ相手も自分なのですから。
ところが、分離の世界では、自分と相手がまったくの別物と思っているので、自分に有利で相手に不利なことも行えてしまいます。
しかし、本来この分離の世界は、統合と分離の二つを体験するために創造したものであって、分離だけの世界観で生きるために作られたものではありません。
これは、分離の体験をするために創られた世界において、それが上手く行ったことの副作用であって、そもそもの目的とは離れた状態です。それを気付かせるために、多くの聖人と呼ばれる人が、上位世界から派遣されてきているのですが、分離体験が上手く行きすぎているため、多くの人がそれに気づくのに大変な手間と時間を必要としています。
この状態が、長く続いて、人間が人間や自然・地球を大事にしない状態が続いていくなら、かつてのムー・レムリアのような事態が起きたとしても不思議ではありません。
我々に必要なのは、分離と統合の二つの体験をして、世界は一つであることを深く認識することです。
これは、スピリチュアルな方法だけでなく、スポーツやビジネス、あるいは普段の生活の中でも体験し認識することができます。
スポーツの世界では、 One for all, all for one.「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という言葉がありますが、これはまさに分離と統合の体験をスポーツという領域で表しているもので、この言葉はスポーツに限らず我々が生きていくうえで全てに言えることです。
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