私という個は、存在はするが、
実在したことは、これまで、
ただの一度もなく、
これからも、実在することはない。
実在するのは、源泉だけである。
源泉を神と呼んだり、I AMと言ったり、ワンネスと呼んだり、あるいは真我などと言うこともあるが、名前がそれそのものを現しているわけではなく、名前はそれを差し示しているだけである。
実在するのは、源泉だけであり、
私という分離した個は、
存在するかのように見えるとしても、
それは幻想であり、実在しない。
私という個に見える存在は、
単に源泉が個に見えている、
ただそれだけである。
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