古くからの友人から、友人の今年の座右の銘として、
「この世は不条理なもの。それを良しとすべし。」
というのをメールで頂きました。
はい。
確かに、この世は、不条理ですね。
不条理は、良しとすべきです。
それは、そもそもの世界、我々の元の世界は、エネルギー世界であり・統合された世界であるため、不条理というものがありません。
我々は、向こうの世界では体験できないことを体験するために、肉体を纏って生まれてきたということがあります。
なので、元の世界にはない、不条理が存在します。
でも、過去世も含めて考えると、本来は不条理は存在しないのですが、肉体という分離体験をしに来ているので、その結果として、不条理を感じることがあります。
不条理を感じるというのは、あえて言うなら、良いことです。
なぜ良いことなのかというと、元の世界では体験できないことを体験しに来ているので、当初の目的通りで、理にかなっているということです。
でも、不条理は許せないという気持ちもあります。
それも、元の世界では体験できない気持ちです。
なので、不条理は許せないという気持ちを体験することは、そもそもの目的から言えば貴重な体験です。
大切なのは、不条理というものを、ニュートラルにとらえることができるようになると、悟りに近づくということです。
不条理というのは、あくまでも自分が決めた価値観に基づくものであって、それ以上でも、それ以下でもなく、自分が世界を見るときに使う価値観が変われば、不条理の定義も変化します。
我々は、一旦不条理を感じるという体験をしたら、その次に、不条理というのは自分が決めた価値観でしかないという体験をして、そして悟りへつながるということを体験するために、肉体を纏っているということです。
コメント
あけましておめでとうございます。
メール、届いていました!
あまりコメントしなくてすみません。
ブログは読んでいます。
大切なのは、不条理というものを、
ニュートラルにとらえることができるようになると、
悟りに近づくということです。
私が数年前から仮説として感じていることと、
言い回しとしては似ている感じがします。
八雲さまが、ヒーリングに使うエネルギーは2つで足りると
おっしゃっていましたが、
私が思うに、この世界は、2つの可能性の狭間にあって、
どちらでもない中途半端な世界なのだと。。
一般には、1つの理想があり、その理想に辿り着けない途上の世界が
この世界であるとも言われています。
しかし私が感じるところでは、理想世界がもし2つあるとすれば、
それぞれが引っ張り合うことで、双方が相殺しあって、
どちらもかなわないということになり、それが実感に近いのです。
ただ肝心の対になるものは何かというと、ちょっとわかりません。
既に対となる概念がないわけではないのですが、例えば陰陽というのも対をなす概念ですが、陰をつきつめた先に「陰なる理想」があるというのもあまりピンとこないところであり、男性性女性性というのも、片方だけで理想世界をつくれません。これらの事柄はもとより混合しあうことを前提にしています。
そんなわけで、それぞれが独立して理想を持っている二つの概念が、お互いにこの世界で引っ張り合って、その結果としてすべてが中途半端になってしまうことで、この世界は不条理である。
という私の仮説は未だ、確信をもってはいませんが。
それはさておき、いずれにせよ、善き年でありますように。
そうですね。良い友人を持っていらっしゃるなあと思います。
今は、不条理を感じさせないようにしてるんじゃないの?
とさえ思えるマスメディアなどの、大きなシステムがあるように感じます。
そして、不条理を感じたとしても、、
それに対し、それを健康的に抗議したり、表現したり、対処したり、
現実問題へは、ミもフタもないような方法で、
根気よく交渉する精神力や技術も、あまり持ち合わせていないのかもしれません。
そもそも、不条理の存在や、対処の方法が教育されていません。
不条理だからといって、自殺をしたり通り魔殺人をしたりするのは、
「損」だと思いますが、そう感じて伝えている人が少ない感じがします。