恐山がパワースポットであるということは、私自身ホームページや書籍(リンク)でも書いていますが、南 直哉さんは、恐山がパワースポットであるということについては、
“恐山が「パワースポット」だとするなら、それはパワーがあるからではなく、無いからです。”
と書いておられます。詳しくは、こちらの記事を読んでください。
恐山あれこれ日記
パワーレス・スポット
https://blog.goo.ne.jp/jikisaim/e/2d9cb7f702891e6770b2e30d61a95463
さすがに、慧眼(物事の本質を鋭く見抜く力があること)ですね。
色々なエネルギーが存在する場所には、物質的とか肉体的とかの現世的なエネルギーが存在しますが、それらのエネルギーが無い場所(南 直哉さんが言うところの、パワーレス・スポット)では、余計なエネルギーがないがゆえに根源的である、我々が元は神であったというエネルギーが感じられる場所であり、色々なことが感じられるようになるということです。
つまり、物質的・肉体的な、余計なエネルギーが無い場所であるから、パワースポットと呼ばれるわけです。
※2017.2.13追記
南 直哉さんのブログ:恐山あれこれ日記ですがOCNからgooに移行しているので、新しいリンクはこちらです。
恐山あれこれ日記
パワーレス・スポット(リンク)
コメント
南師は、すごいです。迫力も、すごい・・。
学僧としても、すごい方だと思っています。
禅の修業中、魔境にあっても、それにおちないのは、
安全装置として仏教の理論が、ちゃんと働いているからですね。
辰巳の辻占さん
物事の本質を見たうえで、それを読み手に考えさせるという、文章が書けるのは大したものだと思います。