エンライトメント

スピリチュアル◆悟り・ノンデュアリティ

エンライトメント(enlightenment)は、スピリチュアルな分野においては「悟り」と訳されるのですが、悟りとは何かということについては、語る人の数だけ定義があります。
なので、私の悟りの定義を、最初に書いておきます。

(1)周囲の状況や、自分自身の状況に左右されることなく、常に平安・平穏で居られること。
(2)自分自身が、根源的な大いなる存在(神、創造主、仏など)であるという理解がある。

この二つの条件が成ったとき、悟ったと言えると考えています。
仏教においては(1)のみを取り上げることが多いのですが、禅の世界や、私自身の経験から言えば、これからの時代においては、(1)+(2)であることが必要であると考えています。

私自身は、まだ悟りの入口に入ったという段階ですが、それでも、外部の状態や条件とは無関係に、自分の奥底から自然に、『愛』、『心の平安』、『喜び』、また、『全ては一つ』、『自分は全てを持っている』、『世界が愛しい』という気持ちが自然と湧き上がってきます。

これらの気持ちは、思考を超えた高いレベルからくるものなので、条件付きでもなく、思考的な判断でもなく、『ただそうであり』、『それ以外ありえない』ものです。
ですから、思考的に、上記のようなものを納得させるものではありません。これらを思考的に判断して納得しているうちは、まだ悟りの入口には立っていません。

この感覚が出てくると、生と死が、一枚のコインの表と裏に過ぎないことも分かってきます。なので、『死ぬのもいいなぁ』と思えてきますが、これは自殺願望でもなく、厭世でもありません。
生と死がドア一枚の向こうと、こちらであり、その間を行き来できることが分かるので、死を忌避するのではなく、生と死を同列に等しく見ることができるようになります。なので、『生きる』と『死ぬ』がまったく同等になり、そういう思いが出てきます。

これも、思考して理解するのではなく、ただそうであるということが、ダイレクトに入ってきます。

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