生は安全なのだ
安全でないのは個的な自我だけだ
自我は防御を必要とする
自分のまわりに鎧を必要とする
おびえて、絶えず震えている
そうしたら、どうして生きることなどできる?
あなたは苦悶と不安のうちに生きている
あなたは生きてやしない
あなたはあらゆる歓喜を失ってしまう— OSHO bot (@osho_bot_jp) 2016年5月8日
生は安全なのだ
安全でないのは個的な自我だけだ
自我は防御を必要とする
自分のまわりに鎧を必要とする
おびえて、絶えず震えている
そうしたら、どうして生きることなどできる?
あなたは苦悶と不安のうちに生きている
あなたは生きてやしない
あなたはあらゆる歓喜を失ってしまう— OSHO bot (@osho_bot_jp) 2016年5月8日
コメント
OSHOの言葉、ありがとうございました。
何が何だか分からなくなっていたのは自我でした。
最近ユビキュトスという言葉のシンクロに会いました。
どうしてこんなに何回も出会うのだろうと思い、
とうとう仏語辞書を引いたら「神の遍在性」とありました。
(私は)いつでもどこにでもいます。
フランス語は詳しくないのですが、ユビキュトスは英語だとユビキタス(ubiquitous)になると思います。
神の遍在性というのは、スピリチュアルな世界観において語られるもので、私という個人から見た時、神はどこか特定の場所に居るのではなく、全体性そのものであるから、遍在するという言葉になります。
じゃぁ、神社は何なのか?神はそこには居ないのか?という疑問が次に湧いてくるのですが、神社は神の居場所ではなく、そこに行くことで人が神と繋がる場所です。