エゴを詳細に見ていくと、エゴは三つあることが分かります。一般的にエゴというと、ネガティブなイメージがありますが、ここではニュートラルな「自我」の事を指します。
それを図にするとこんな感じです。
三つのエゴのうち、スピリチュアルな分野で言われているエゴは、円の一番上に存在するエゴ(青)です。このエゴは、人間が人間的に生きる上で作られたものですが、霊的成長や覚醒においては、無くしていくことが必要なものです。
真ん中のエゴ(薄青)は、自分という存在を認識し、自分と相手を区別するもので、これがないと自分から相手に対して話しかけることができなくなります。
また、一番下のエゴ(白)は、肉体を認識し維持するために、自分の肉体を認識し、維持するためのエゴです。
下の二つのものは、覚醒した人の書いた本を読んでいると、覚者が自分という存在があるという認識の上から生徒に語っていることを見ても、存在しているものといえますが、これらは肉体的に生きていく上で最低限必要なものであるため、一般的にはエゴとは呼ばれていません。
霊的成長や覚醒においては、エゴを無くすというのは必須なのですが、エゴを無くすというと、自分という存在そのものを無くしてしまうような怖れを持つ人がいます。実際には覚醒するために不要なエゴが無くなるのであって、自分という存在そのものが無くなるということではありません。
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ここで書いていることは、スピリチュアルな段階を前に進むために必要な見方であって、究極の真実ではないということも知っておく必要があります。
というのも、霊的成長や覚醒において、自分が想像も理解もできない領域に進むことが必要なのですが、それは暗闇の中で川を渡るジャンプのようなもので、それをしようとしても怖れが先に立ってしまうことがあります。
それでは前に進めないことになってしまうので、現在の立ち位置で怖れを持たない見方を持つということも必要になってきます。そして川の向こうにジャンプしたら、古い見方を捨てて新しい見方を獲得することが大切です。
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