(その2)から続き(リンク)
ノンデュアリティにおいては、過去生というものは存在する余地すらないのですが、スピリチュアルな実体験として過去生を経験しているというこの矛盾をどう捉えたらいいのか?
スピリチュアルの探究からノンデュアリティに進んだ時に、人は以下の4つの選択肢のどれかを選択しているようです。
(1)矛盾に目をつぶり、ノンデュアリティに進む。スピリチュアルなことは語らなくなる。
(2)ノンデュアリティに進むのを止めて、スピリチュアルに戻る。ノンデュアリティは語らない。
(3)スピリチュアルとノンデュアリティの矛盾を見て、両方とも捨ててしまう。
(4)スピリチュアルとノンデュアリティの統合に進む。
私の場合、スピリチュアルな過去生における実体験がとてもリアリティがあるので、スピリチュアルなことを語らないという訳にも行かないし、ノンデュアリティへ進むのを止めて、スピリチュアルに戻って行くという道はなく、両方を捨てることもできないので、最後の統合に進むということになります。直感的には、他の道は無いと感じます。
これはパソコンで言えば、OSをアップグレードするようなもので、OSアップグレードすると、これまで使っていたアプリケーションのうち起動しなくなるものが出て来るので、新しいOSに対応したアプリケーションを新規に購入してインストールする必要が出てきます。
これと同じ様に、これまで長い時間を掛けて積み上げてきたスピリチュアルな解釈を捨てて、スピリチュアルとノンデュアリティの両方に通用する新しい解釈を一から積み上げ直すことが必要になります。
これは、言葉で言うのは簡単ですが、実際に行うのは大変な事になります。スピリチュアルかノンデュアリティのどちらか一方のみを語る方がはるかに楽です。
P.S.
上の写真のWindows10へのアップグレードは二度目のトライだったのですが、途中でやはり起動しなくなり、Windows8.1に逆戻り。さらにWindows8.1のビデオドライバ更新中に止まってしまったため、Windowsリセットが起動。
Windowsリセットは、ファイルは保存されているものの、アプリケーションが全て削除されてしまうので、一日掛かりで各種ドライバやアプリケーションのインストールをする羽目になってまるまる二日を要しました。
(その4)に続く(リンク)
コメント
スピリチュアルとノンデュアリティについて一連のわかりやすい記事をありがとうございます。
自分の場合は、八雲先生のご指導のもとのこれがスピリチュアルだと思っていて、周りのいわゆるスピリチュアル(?)だという方々の考えているであろうスピリチュアルは全然違うと感じ、違和感も非常に強く、それらの人達から離れることにしたという経緯があります。
その、自分が思っていたスピリチュアルは実はノンデュアリティのほうなのかもですね。
自分がこれから進む方向がどれなのかは今のところきちんとした認識はありませんが、特にスピリチュアルとかノンデュアリティとか区別したり意識したりすることではなく、スピリチュアルもノンデュアリティも含めてそれらを自然なものに統合する方向なのかなと感じています。
今後ともよろしくお願いします。
sumieさん
コメントありがとうございます。
当初は、スピリチュアルの延長線上にノンデュアリティを位置づけして理解しようとしていたのですが、一連の記事で書いているように、スピリチュアルの延長線上にノンデュアリティがあるわけではないので、あえてスピリチュアルとノンデュアリティを分けて理解するようになってきました。
スピリチュアルだけ、ノンデュアリティだけ、を語る人は比較的簡単に見つけることができます。しかし、ノンデュアリティから見れば、スピリチュアルもフィジカルも繋がっているのですが、それらを統合する作業をやっている人が見つからないのと、自分自身のこれまでの経験も統合することが必要なため、楽な作業ではないけれども取り組んでいるところです。
こちらこそ、よろしくお願いします。