糸の切れた凧になる

◆悟り・ノンデュアリティ

スピリチュアルな目覚めのプロセスにおいて、糸の切れた凧のような状態になることがあります。

それは、この世界に生まれてから今日まで積み上げてきた価値観・世界観といったものを手放すことが必要になるからです。目覚めていくには、手放すことが必要で、手放さないで握りしめていては、いつまでたっても肉体という呪縛に囚われたままになってしまいます。

ここで言う、手放すというのは捨てることではありません。存在することを認めつつも、離れていくということです。

完全なる無という状態に入ることができるのは、すべてを手放すことができたときです。

今日まで積み上げてきた価値観・世界観を手放すというのは、言葉にすれば簡単なことですが、実践するとなると、これらは無意識的な領域に存在するため、しばらくの間は手放したり握り返してみたりを繰り返すことが起きます。その時心は、ふわふわと安定しない糸の切れた凧のような状態になります。

凧というのは糸によって地上とつながっているときは安定します。この糸が価値観・世界観であるわけですから、手放すということを始めると、しばらくの間は糸の切れた凧を経験します。

そして、それまでとは全く異なる価値観・世界観に完全に移行すると、凧は糸がなくても自由に空にとどまり続けることができるようになります。

そうなるためには、無意識的な領域に何層にも積み重なっている価値観・世界観を手放すことが必要で、ある事柄において手放すことができると、別の事柄が浮き上がってくるので、何度も手放していくということを続けていく必要があります。そのため、手放すプロセスに数年という時間を要することも珍しいことではありません。

大切なのは、手放すということを続けることです。
続けていく、その先に目覚めは必ずあります。

コメント

  1. ぐり より:

    以前ここにかかれているような状態になったことがあります。「今の自分は糸の切れた凧みたいだ・・・」とおもったその気持ちがそのままタイトルになっていて思わず開いたのですが、あの状態がいったい何であったのかわかってとてもスッキリしました。ありがとうございます

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