稲荷神の本質

スピリチュアル

三日連続で関東地域の代表的な稲荷神社と稲荷寺院を巡ってきました。

三日目に笠間稲荷で見たものは、白銀色の九尾の狐と宝珠。

稲荷神は奥が深く、まだ入り口に立ったばかりですが、現時点で分かったことについて書きます。

白銀色の九尾の狐

狐は稲荷神の眷属(=神の使い)ということが言われていますが、稲荷神が人前に自らの姿を形で見せる時には、狐という形を取ります。

ただ、野生の狐の姿で現れると勘違いされてしまうことから、野生には存在しない白銀色の九尾の狐という姿で見せてくれます。

他の人への見せ方としては、九尾の狐以外の姿(野生にもいる狐や、とぐろを巻いた蛇)になることもあるようですが、私に見せてくれた形は白銀色の九尾の狐でした。

尾が九つあるこの姿だと、野生には存在せず霊界にしかいないのは明らかなので、とても分かりやすい姿になります。

宝珠

宝珠というと、神社では欄干に付けられる飾りの丸い先頭部分が宝珠をかたどったものです。

これは、本来の宝珠を物として表すための形であり、本来の宝珠は純粋な光になります。

ただし純粋な光を表現すると、放射状に照らす光になってしまい、他と区別が付かなくなるので、表現としてこのような形になります。

この純粋な光は、全てを生み出す源です。

つまり、稲荷神は人に姿を見せる時は狐や蛇という仮の姿を取りますが、その大元は全てを生み出す源としての神であるということです。

京都 伏見稲荷で頒布している御絵札を見ると、

全ての表れ(植物、蛇と俵、狐)に宝珠が重ねられていることからも分かります。

ところが、稲荷神が表に現れた時代は、農業主体の時代だったこともあり、農業神という性格を強めて稲荷(お米)という形に変化していきました。

その後稲荷神は、商工業を含め産業全体の神になって行きましたが、そもそもがすべてを生み出す源としての神であったことを考えると、それも自然な流れですね。

見せてくれた事の意味

全てを生み出す源としての宝珠を体得するのが今後の私の行になるようです。
どのような行になるのかまだ分かりませんが、神の声に従って生きたいと思います。

語りつくせない稲荷神

色々と書いてますが、稲荷神については色々と語りつくせない事も多いです。
書けないことについては、お話会でお伝えしたいと思います。

 

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