昨年の7月に関東三十六不動を巡っていた時に、悟りの経験があります。
その時の話を、人が死んだらどうなるのかという形でノンデュアリティ式に表現します。
スピリチュアルで語られる人の死と、ノンデュアリティで語られる人の死は、大きく異なったものになります。
これはどちらが正しいとか間違っているということではなく、人が死ぬときに、スピリチュアルとノンデュアリティのどちらを信じているのかで、違う結果になります。
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人が死ぬと、肉体は生命活動を終了します。
そして、肉体の生命活動が終了した時に残るのは、心です。
肉体が生命活動を終了するということは、心が肉体との結びつきを終了するということであって、心の終了ではありません。
その心は、肉体が生命活動を終了したことを認識しますが、それによって心の活動が変化することはありません。
心は、肉体の状態に関わらず活動を続けます。
そして、その心はそれ自身の存在を再認識します。
「存在」していると。
その「存在」は、分離された個別の存在ではなく、ただ一つの存在であるということを認識します。
そのただ一つの存在とは、個人を超えた全てとしての存在であることに気付きます。
そこに、分離された個人というものはありません。
だから、分離された個人はそもそも存在しないし、人の死が心の死でもありません。
こうして、人の死は、その存在が「源泉」というただ一つの存在に戻ることで、永遠に輝くのです。
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