名前の画数に意味があるのか?

スピリチュアル

カウンセリングで、名前の画数について聞かれることがあります。
画数というのは、名前が持っている力(エネルギー)のうち、ごく一部を表しているに過ぎません。

名前が持っている力というのは色々とあって、私の場合はそれら全体で判断します。
力を列挙すると、

名前の
・漢字の意味
・漢字の書体
・漢字の書体バランス
・音声的なバランス(言霊的とも言う)
・ひらがな表記
・ローマ字表記
・画数

こうしてみると、画数というのは、名前の力を構成する要素のほんの一部でしかないことが分かります。
なので、画数だけで判断するのは正しい判断とは言えないと考えています。

でも、画数というのは、数字で表されるため、一般的にはとてもわかりやすい、一方でその他の項目というのは、判断するのが少々難しいという側面があります。
なので、世間的には画数というものがクローズアップされてしまっているのだと思います。

日本の場合、漢字が中国から輸入されるまでは、字がなかったので、「音」が意味を構成する重要な要素でした。つまり音が同じであれば、意味が同じということです。

出雲系の神様でいうと、オオクニヌシ=大国主になりますが、大国はダイコクとも読めるので、大黒様というヒンドゥー教の神様と同一視ということが起こります。
今からすれば、ずいぶん強引な結びつけに思えるのですが、日本語はそもそも「音」がメインだったので、こういうことが起きるわけです。

なので、古い神社の名前などを調べてみると、当て字的な名称の神社が結構あります。

日本を代表する富士山の表記についても、過去において様々な表記がされてます。
富士(続日本紀)、 不死(竹取物語)、福慈(常陸風土記)、布士・不尽・不自・不時・不二(万葉集)、普慈、富慈、富知

こうしてみると、名前において「画数だけ」を判断要素とするのは、少々無理があると思えます。むしろ上記の項目全体で判断すべきで、最終的なチェックとして画数を使うのであれば意味があると思います。

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