チャクラから見た大阪、「商人の街」

大阪が商人(あきんど)の街であるというのは、古くから言われていることですが、今回大阪の町を走ってみて、これはチャクラから説明が出来るということがわかってきたので、少しずつ書いてみます。
大阪は、古くは難波(なにわ)とも呼ばれた湿地帯であり、淀川が上流からもたらした土砂の堆積で出来上がっている土地であるため、地盤は岩盤ということではなく、堆積した土砂が中心になります。
かつては、陸運ではなく海運が物流の中心であり、船で荷物を運ぶとき、かつての大阪のように淀川の本流・支流の変遷により内陸部まで自然の水路が出来上がっている場所は、海運のための拠点として優れているということです。
堆積した土砂が地質構造の大きな要素を占めている場合、その土地は強固なものではなくなります。
そういった場所に暮らすときには、チャクラの肉体的な要素である、1番から3番チャクラが刺激されるようになり、反対に岩盤地帯に暮らすときには、精神的な要素である、7番から5番チャクラが刺激されるようになります。精神性を求める人が高い山や岩盤地帯に篭る傾向があるのはそういうことです。
大阪では、1番から3番チャクラが刺激されるようになるため、人の肉体的な要素を強く求める傾向が出てくるので、考え方や行動は肉体的すなわち、現実的・三次元的な要素が強く出てくることになります。
そういった特性を持った土地が、さらに交通の要所つまり、京都から九州に掛けた海運の要所であると、そこには海運つまり、商業が発達してくることになります。
こういった、二つの要素が組み合った結果として、大阪は商業の町として発展し、大阪の人の考え方・者の見方は現実的な方向性がさらに強くなって行くことになります。
商業というのは、精神性もさることながら、現物・現金が基本になり、その結果精神性の強い京都や奈良とはずいぶん違った傾向が顕著になります。
(続きます・・・ たぶん)

コメント

  1. きむら より:

    おもしろいですね。
    京都は大好きなのに、大阪がしっくり来ないのは、京都に親戚がいて馴染みがあるからだと思っていましたが、こういう見方も出来るのですね。
    東京はこの見方で行くとどこに位置するのでしょう?
    続き楽しみにしています。

  2. ふーてんの花子さん より:

    大阪府出身者としてはこういう書き方が一番戸惑うんですよね。
    どういうことかというと、現在一般に言う大阪と難波の混同です。
    難波とは淀川河口、現在の大阪市辺りのことです。
    しかし、都道府県が出来てからの大阪は府となり、当然ながら大阪は大阪市だけではありません。
    かつての河内国・摂津国・泉州・堺などの様々な地域の集まりです。大阪北部は淀川水系ではなく猪名川水系で、西国街道で発展し、南部は更に淀川から遠く、太平洋寄りです。
    メディア等で大阪を語る時、多くが大阪市内の事を指しているように見受けます。
    それだけ難波文化にインパクトがあり面白い素材なのでしょうが、おかげで大阪府に属するその他のエリアの認知度は低いものです。
    極端に例えれば、中央区や世田谷区に寅さんが住んでいる、または日本人はチョンマゲ、着物だと思っているレベルです。
    簡単に大阪と一言で書いてしまうのは上記認知レベルの延長線上であり、スピリチュアルに関わるまじめでセンシティブな内容を扱うには、粗雑な表現かと思います。

  3. すずめ より:

    こんにちは。
    大阪府に限らず、都道府県単位で考えると上手くいかないように思いますが、どちらにせよ、チャクラは7つ(本によっては7つでないこともある?)しかないので、「乙女座は几帳面」というよりもずっと大雑把な理解の仕方になるのではないでしょうか?
    北海道についても興味があります。

  4. thomas より:

    thomas@山の上で修行の身です。
    確かに、大阪に入ると「ドボンと沈み込むような」
    重心の低い感覚を私も強く感じます。
    特に西(神戸方面)から大阪に入ると、
    武庫川を渡るあたりから雰囲気が激変しますね。
    ただ「堆積層だから」と単純に考える話でもないような気もします。
    地質学的には大阪平野は関東平野と比べても
    さほど基盤岩の深い平野ではありませんし、
    沖積層も東京の下町のほうがよほど深く緩いわけで。
    むしろ大阪平野が傾動山塊のそれも崖側に囲まれ、
    とりわけ「岩山の象意」の強い六甲や生駒に囲まれていることによる
    相対的な問題が強いようにも思います。
    岩・石といえば、上町台地北端の大阪城の位置が古く「石山」と呼ばれ
    生国魂神社や坐摩神社の故地であること、
    大化の改新(難波宮造営)以来散々改変された挙句、
    徳川大坂城という「巨石の城」が造営されて落ち着いたこと、
    いくつか気になる歴史もあります。
    八雲さんならではの、深く広い分析の続編を楽しみにしております。