ブッダの教え、キリストの教え

◆悟り・ノンデュアリティ

ブッダの教え、キリストの教えを見ていると、一元性の教えだけではなく、一元性に至るまでの二元性の教えもあり、どちらか一方だけではないことに気が付きます。

最近は、一元性のティーチャーが書いた本を紹介することが多いですが、彼らの特徴は一元性のみを語っているということです。

人は一元性で生まれ、二元性を3歳ごろから覚えはじめ、大人になる頃には、ほぼ二元性の観念を持って生きて行くことになります。
そういった人達に、いきなり一元性の話をしても、それを理解できる人はごく少数です。
そのため、二元性の話を理解してもらってから、段階的に一元性に進むことの方が、多くの理解者を得ることができます。

私自身は、まさに二元性のスピリチュアルにどっぷりと浸かった期間が10年ほどあり、その後、一元性のスピリチュアルに進んでいるので、一元性と二元性の両方をよく体験し、理解しています。
このような体験をしている人は、どうやらかなり少数のようです。

二元性のスピリチュアルにどっぷり浸かった人は、それまで慣れ親しんできた、二元性の世界を生涯を通じて探究し続けることの方が圧倒的に多いです。

これは、どちらかが良くて価値があり、どちらかは良くなく価値がないと言っているのではありません。
どちらの生き方も、それぞれ価値があります。

なので、このブログや、私が行うワークショップやセミナーでは、二元性のものと、一元性のものの、両方があります。

最近の解りやすい例では、
サットサン:一元性
スピリチュアル・トークセッション:二元性
となります。

スピリチュアルカウンセリングでは、来られる方が一元性と二元性のどちらの立ち位置にいるのかを見極めて、それぞれに応じた話をします。

将来的には、ブッダやイエスのように、二元性から一元性に向かう道をクリアに示すことができるようになることが、私の目指す方向です。

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