人は身体を持って生まれるため、私と母という分離体験で人生が始まります。
それがさらに進んで、私と母/父/兄弟/友達/仕事関係者など、「私と誰か」で体験するという分離体験の人生がずっと続くことになります。
つまり、分離体験をベースに人生を生きることがあらかじめ設定されています。
ノンデュアリティの道を進むには、この生まれながらに持っている設定を外すことが必要ですが、自然に湧いてくる思考なので、ノンデュアリティに進もうとしたときに、その自然と湧いてくる思考に無意識的に捕らわれてしまうことが起きます。
そのため、「私」と「私以外である神」という分離的な思考を中心にこの世界を見ることがごく自然な感覚になります。
このごく自然に湧いてくる感覚である「私と私以外の関係」と、ノンデュアリティの「私だけが存在している」という概念は全く異なるため、真面目に探究すれば決して相容れないものになります。
世の中的には、分かったつもりでスピリチュアルとノンデュアリティを語っている人がとても多いです。
相容れないものなので、私の場合は、モードを切り替えるというやり方をしています。
スピリチュアルモードでは、
「神と私」(分離的感覚)
ノンデュアリティモードでは、
「私は神」(全ては一つの感覚)
という立場に完全に切り替えて、思考し発言しています。
この二つのモードが混ざることはありません。
スピリチュアルな立場から見れば、「私は神」というのは驕った状態・エゴな状態に見えることもありますが、ノンデュアリティな立場から見れば、それが真実であり、それ以外ありえません。