横浜市中区本牧にある本牧神社は、元々は横浜市中区本牧十二天1(Googlemap)の海岸に位置する神社だったのですが、敗戦後の米軍の土地接収などを経て、現在の本牧山の南面(Googlemap)に移転しています。
本拝殿の右手奥に、小さな熊野速玉神社があります。
その左側に、榎(えのき)があるのですが、その木は二本の幹が絡み合うように立っているので、
根元を、左に回れば絡みを解くので縁切りに、右廻れば縁を結びになるというものです。
試しに、根元を右に廻ってみたのですが、一周するとエネルギーが動き出すのが分ります。
熊野速玉社の祭神は、速玉之男神を祀っているのですが、速玉之男神は伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)から生まれた神なので、伊弉諾と伊弉冉の縁を切り・縁を結ぶ力が木を通じて現れることになります。
●公式HP
本牧神社
http://www.honmoku.or.jp/
コメント
八雲さま
記事を読んで、神様に(?)失礼ながら、(驚!!!)でした。
こういったものをみかけると、「~~に見える」から、そのように名付けているのだといつも思っていました(汗)
この記事のように、エネルギーが動くということが本当にあるのだと知り、とても驚きました。
> あぐさん
「○○に見えるから」そのように名付けているのがほとんどで、エネルギーが動くというのはとても少ないです。
そうなんですね。
ちょっと残念です。。
八雲先生
最近、縁結び、縁切りの投稿が続いているようですが、「本当は誰もいない。」「一人一宇宙」から縁結びや縁切りはどういう説明になるのですか?
次元によって物や現象の見え方は違うんだと思うのですが?
> Rosemaryさん
まず、「縁結び」と「本当は誰も居ない」は、矛盾していません。
個人というのは、「源泉」からの「現れ」であり、「現れ」を中心に見る時は個人が存在し、縁結びが存在します。
「源泉」を中心に見る時は、本当は誰も居ません。
源泉には次元が存在しないので、次元によって異なるのではありません。
見方・立ち位置で異なります。
どちらかだけが真実ではありません。どちらも真実です。
私の場合、「本当は誰もいない」の体験的理解の段階を一つ進んだので、今度は「個人が存在する」という現れを楽しんでいるわけです。
八雲先生
お返事ありがとうございます。
源泉は、次元が存在しない。0ポイントでしたね?
どちらかだけが真実ではない→どちらも真実。
これは、結局一人一宇宙だから、誰の言うこともその人の宇宙において全部真実ということで今は理解しているのですが。つまり、「いい悪いはない」という世界をわざわざやる必要はなかったな〜と(笑)
「本当は誰もいない」世界は、寂しいので、私は行きたくありません(笑)
> Rosemaryさん
ノンデュアリティは思考的に理解しようとすると判らなくなります。体験的&直感的理解が必要です。
・0ポイントって、何のことでしょうか?ゼロポイントという「点」の事だとしたら、それはノンデュアリティを表してはいません。ノンデュアリティとは、境界のない世界、遍在する世界です。
・ノンデュアリティは、「一人一宇宙」とカウントするものではありません。そもそもカウントできません。一人一宇宙という捉え方は根本的に間違っています。
・「良い悪いはないという世界」が何処かにあるわけではありません。良いとか悪いが生まれる以前です。それは、あなたの意思や行為に関わらず、常に存在しているものです。
・「本当は誰もいない」世界は、行く場所ではありません。あなた自身が、今居る世界のことです。
なお、この記事は、スピリチュアルな縁切り縁結びの話題について書いています。
これ以上ノンデュアリティについて語るのはカテゴリーエラーとなるので、以降はノンデュアリティのカテゴリーの記事で質問してください。