神社とワンネス

スピリチュアル

「神を知るということ」において、神を理解する段階を以下のように書いていますが、

『神を知らず』
『神と出会い』
『神であるを知る』

この段階は、神道における神の理解の段階と非常によく似ています。
神道において、人は神の分け御霊と言われています。分離体験の最中(さなか)に居る人に、全ては一つ(=ワンネス)といってもすぐに理解することは容易ではありませんが、分け御霊であれば理解可能であり、道を先に進むことが出来るわけです。

覚者と呼ばれる人の中には、神社やお寺に行く事はまったく意味がないと語る人もいます。おそらくは、瞑想だけでその立ち位置に来た人たちだと思います。確かに、瞑想だけでそこに達したのであれば、神社やお寺は不要です。

しかし、一方で神社やお寺(あるいは教会も)と呼ばれる聖地に行く事で、『神を知らず』から『神と出会い』、やがて『神であるを知る』という段階に進んでいく人達も居ます。私自身がまさにその道をたどってきたわけです。

この場合、神社というのは、「神を知る」場所であり、「神と出会う」場所であり、そして「神であるを知る」場所です。

昨日、久しぶりに箱根神社/九頭龍神社新宮に行ってきたのですが、これまでの「神と出会う」ではなくなっていました。場のエネルギー感覚としては、以前と変わりないのですが、そこは、「神であるを知る」場所に変わっていました。

境内に佇んでいると、自然との境界、神社との境界、参拝に来ている人との境界が、無くなっていることに気が付きます。見た目においては、それぞれ自然であり、神社であり、参拝者であり、自分の肉体とは別の存在として見えるですが、その根源においては全てが一つであり、境界が無くなっていることに気が付きます。

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神社は、全てが一つ(ワンネス)であることを、思い出す場所です。

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