※2024年9月25日に投稿した記事に加筆して再掲

今年(2024年)に入ってから、「2025年7月ってどうなんでしょう?」という質問を頂くことが増えてきました。
2025年7月とは、漫画家のたつき諒氏が見た予知夢を元に、「本当の大災害は2025年7月にフィリピン海で起きる」ということを言っており、

2025年7月の話は、こちらが発端となっているようです。
Youtubeやブログ/SNSなどでは、その話に本当かどうか分からない情報まで加わって、人々を恐怖に落とし入れる表現になっているものを多く見かけます。
そのような情報に惑わされないことが大切です。
災害予言の話
災害を予言できるのか?
これまでの災害において、災害を予言したという人が何人かいますが、そういう人はたいてい、予言を多数連発してその中から当たったものだけを取り上げて、予言したと勝手に主張している人がほとんどです。
災害予言は、ほとんど外れてしまいます。
過去に予言したという人も居ましたが、きちんと検証すると予言しているとは言えないことが明らかになっています。(リンク)
「有料地震予報サービス」が存在していますが、その予報を見ていると、日本の地震が発生しそうな大部分の地域に予報を出しています。
そして、その予報が当たったと言ってますが、地震が起きそうな大部分の地域に予報を出すというのは、結局まぐれ当たりでしかないのに、いかにも科学的な根拠があるかの如く言っているのは、あまりにも不誠実としか言えません。(リンク)
なぜ予言できないのか?
それは、災害というものがなぜ起きるのかを見ていくと分かります。
災害はなぜ起きる
我々人間は、肉体を持つ前は、光のエネルギー体という存在でした。エネルギー体の世界(上位次元)では災害は存在しません。
元々居た世界ではできない体験を求めて、肉体を持ち地球に生まれてきました。そうして、我々は、この物資世界に居るわけです。
元居た世界のことを簡単に思い出すことができるようでは、この物資的世界の体験が無意味になってしまいます。そのため、元の世界を簡単に思い出すことができないようにする枠組みがいくつか存在しています。
その枠組みの一つが災害です。
災害は、人の集合意識と地球との関係で発生します。
災害を経験する、あるいは災害を知ることで、恐怖感を出すことが物質的な世界こそが真実であるように思える結果となります。それが肉体体験を深めています。
ところが、災害を簡単に予言できて避けることが出来てしまうと、やがて物質的な世界が現実ではないことに気が付いてしまいます。
そのため、災害というのは、我々が予想ができないタイミング・場所・起き方で発生します。
まさに、災害は忘れた頃にやってくるということです。
災害はどう起きる
国が出している地震ハザードマップにおいて、危険とされているところではほとんど地震が起きておらず、1979年以降の大規模地震はリスクが低いとされている地域で発生しています。
2024年1月1日の能登半島地震でも、地震ハザードマップを見ると、

能登半島は、危険度が低いとされてました。
阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震なども、危険度が低いと思われていた場所で発生しています。
みんなが危険と思わない場所で災害は起きるということです。
多くの人が危険であると思っている場所では災害は起きません。
長い時間スケールになると、危険と思っている所でも災害が起きることになりますが、災害の起き方は想像を超えることになります。
情報が広く行き渡ると災害は起きない
災害予知/予言に関する情報が沢山出て、多くの人が注目するようになると、災害の本来の役割である、物質世界を現実と見なすことが果たせなくなるので、そのままの形では災害は起きなくなります。
2025年7月については、Youtubeやニュースサイトなどで多くの情報が流されており、またブログやSNSでも様々な情報が出てきて、多くの人が知るようになりました。
人類の未来は確定していない
個人レベルでは、未来は確定しているところがありますが、個人の集合である人類の未来は確定しているわけではありません。
そのため、2025年7月については、言われているような時期と場所では、災害は起きない可能性が高いです。
大きな災害の前には何かを感じる
大きな災害が近づくと、感度の高い人は、何かを感じ始めます。
長期遠隔ヒーリング
私の場合、東日本大震災の前月の2月に、「何かやらなければ」という強い感覚があるので、初めての長期遠隔ヒーリングセッションを始めました。
2月18日(金)満月から3月20日(日)満月までの約一カ月間、毎日遠隔ヒーリングを行うという異例のセッションです。

そして、遠隔ヒーリングの期間中に東日本大震災が発生しました。
周囲の人のざわざわ感
周囲の人たちも2月頃になると、「なんだかざわざわする」と言ったり、「へんな感じがする」などと、うまく言葉にはできないけれども、何かいつもと違う感覚を受取っていました。
たつき諒氏の夢日記について
ここからは、書籍「私が見た未来 完全版」に書かれている内容について話します。
見た全ての夢を語っているわけではない
「ほかにも私はたくさんの夢の記録と体験を持っています」(P.22)と書いてます。
つまり、書籍では見た全ての夢について語っているわけではありません。
そのため、当たった夢と外れた夢が混在していると思われますが、外れた夢がどれだけの数があるのか、当たった夢がどれだけの数があるのかは、不明です。もしかすると、外れた夢の方が圧倒的に多いのかもしれません。
書籍に書いているのは、当たった夢と特徴的な夢の二つだと思います。
夢日記は、二つに分かれる
夢日記で書いている内容をよく読むと、二つに分かれることに気が付きます。
それは、「個人の夢」と「災害の夢」です。
書籍の中からピックアップ(年月日は夢を見た日 〇:当たり ×:外れ △:一部のみ)すると、
【個人の夢】
(個人的な内容の夢)
1989/8/27 N公園 〇
1976/11、1986/11/28 QUEEN,フレディ・マーキュリー 〇
1993/9/14 伯父の家 〇
1992 ダイアナ妃 〇
書籍には当たっている夢だけを書いて、外れた夢は書いてないかもしれません。
【災害の夢】
(多くの人が関わる災害の夢)
単行本〆切の日 大災害は2011年3月 △
1991、2002、2005 富士山大噴火 ×
1995/1/2 荒れてひびの入った大地 ×
2011年3月については、他の夢と違い日付だけが見えていて具体的な風景については、夢で見てません。
「災害の夢」については、当たったのは一つだけで、他は本人も語ってますが、外れています。
こうしてみると、「個人」にくらべて「災害」については、予知夢としての精度は高くない印象があります。
【未来の災害の夢】
未来の出来事については、他にも夢を見ているかもしれませんが、2025年7月の事しか書いていません。
予知夢は予言ではない
夢日記に記録していのは予知夢であって、予言ではありません。
実際に起きるかどうかは、その時になってみないと分かりませんが、これまで見てきたところでは、2025年7月は平穏に過ぎていきそうです。
作者あとがきから
書籍の「作者あとがき」から抜粋します。
| 私と同じような予知夢を見た人は、実はたくさんいるのだと思います。 「予知」は「警告」です。「避けられる」から「見させられた」。 「災難を避ける」「災難を小規模にする」手段があるということだと思います。 |
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