赤城神社はなぜ遷座したのか [5/4更新2]

神社

赤城山(あかぎやま)の大沼のほとりに建つ赤城神社は、1970年に大沼南岸の旧社地から現在の「小鳥ヶ島」に遷座(神社の建つ場所を移動すること)しています。

なぜ遷座したのかネット上で調べても、具体的な資料が見つかりません。
神社のホームページを見ても、「昭和45年に現在地に遷座した」という事実のみが掲載されているのみです。
ネットにはなく、書籍で残っているのかもしれません。

遷座というのは、資金も時間も掛かるし、氏子・崇敬者・神職の理解を得る必要もあるので、それなりの理由があるはずです。

そこで、立地を元に調べてみます。神社の建っている場所や方角などは、意味を持った建てられ方をしているので、立地が何を語るのかを調べます。

赤城山という山はない

赤城山は、榛名山、妙義山と並び、上毛三山の一つに数えられていますが、赤城山という山は存在しません。

赤城山は複数からなる山の総称です。
構成する山々は、以下の通り。
黒檜山:くろびさん (1828m) - 最高峰
駒ヶ岳:こまがたけ (1685m) - 第二高峰
地蔵岳:じぞうだけ (1674m) - 第三高峰
長七郎山:ちょうしちろうさん (1579m) - 第四高峰
小地蔵岳:こじぞうだけ (1574m) - 第五高峰
荒山:あらやま (1572m) - 第六高峰
鈴ヶ岳:すずかだけ (1565m) - 第七高峰
そのため、赤城山は見る場所ごとに異なる姿を見せます。

赤城山の裾野は富士山に次ぐ広さであり、かつては富士山よりも高い山であったとも言われており、噴火と山体崩壊によって現在の姿になっています。

赤城神社の御神体

赤城山最高峰の黒檜山を神体山、また同時に大沼も神体湖としています。
旧社地はその神体山と神体湖の両方を眺めることが出来る場所になっています。

現在社殿が建っている「小鳥ヶ島」は出土品などから見ると聖地として扱われていたようで、旧社地の社殿は「小鳥ヶ島」に向かって拝礼するように建てられています。

新社殿は旧社地に向かうように建てられています。

赤城神社の遷座

「小鳥ヶ島」はその名の通り、かつては島でした。

昭和7年発行の地図を見ると「小鳥ヶ島」が島であることが分かります。赤枠は拡大図。
地図に赤城神社と書いてあるのは大沼南岸にある旧社地に建っていた赤城神社です。

神社では、神体山や聖地に向かって拝礼する方向に神社を立てるのはごく自然なことです。

人の往来が容易ではない聖地のため神社を建てることができず、「小鳥ヶ島」に向いて神体山と神体湖の両方を眺めることが出来る場所に神社を建てたのだと思います。

1947年(昭和22年)9月に襲来したカスリーン台風(*1)がもたらした豪雨により、黒檜山中腹で発生した土砂崩れで小鳥ヶ島が陸続きになりました。[赤城山検定より引用]

陸続きとなり人の往来が出来るようになり、1970年に聖地に赤城神社を遷座することにしたようです。

(*1)連合国軍占領下のため台風にはABC順で女性の名前が付けられていた。
関東地方や東北地方など広範囲に甚大な被害をもたらした。

【古地図のサイト】
時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」
https://ktgis.net/kjmapw/

【赤城山検定】
https://www.akagi-trip.com/akagiyama-kentei/

【カスリーン台風】
https://ja.wikipedia.org/wiki/カスリーン台風

コメント

タイトルとURLをコピーしました