自我と真我

自我は、この肉体の中に精神があり、これこそが「私」であるという幻想を創り出します。そして私という個人が存在するというストーリーを肉体がある間続けるという役割があります。

私というのは、実は幻想でしかないのですが、源泉あるいは神とか源においては、私という分離された個人を体験することはできないので、その体験を求めて肉体と心・精神を創造したわけです。
ですので、ほとんどの人は大人になる過程で、自我が芽生え、この肉体と精神を持った存在が私であるという幻想の中に生きています。

この自我を生み出した源が、真我です。真我は、源泉とか神とか大いなる存在などとも呼ばれます。
真我は、分離がありません。それは全てです。なので、区分けしてこれは自我、これは真我という言い方をするのは本当は間違っているのですが、説明の為に自我と真我を分けています。

真我は全てですから、一つしか存在しません。

というか、全てなので、一つという概念も本当は不要です。ノンデュアリティ=非二元という言葉は、一つという概念すら必要がない全てであるということです。ワンネスと言う言葉は、分離していることを前提とするから、一つである(ワンネス)と言っているのですが、それは本当の姿を逆転して表現しています。そもそも一つなのですから、いちいちワンネスということすら言う必要がありません。なので、私はノンデュアリティという表現を使っています。

ちょっと話が逸れました。

真我は、全てですから、誰もが自分の内側にあるのです。例外はありません。まったく、例外はありません。
もし例外があるとすれば、その人はこの世界に存在しないということです。

真我は全てですから、そこに分離はなく、分離がないから、平安・安寧です。
全てがそのまま存在するから、時間もありません。

それを「空」とか「今」という表現を使って語ることもあります。

真我と自我は、一人一人の内側に存在しています。

真我は、平安・安寧・愛・慈しみそのものです。
自我は、不安・心配・憎しみ・排斥を生み出します。

人が様々な感情を持つのは、真我と自我が共存しているからです。
人は、この様々な感情を体験することを目指して、肉体として生まれてきました。なので、様々な人生を繰り返すことで多様な体験をします。

多様な体験をするところまでしてしまえば、肉体を持った状態で、真我という源に戻ることになります。それが悟りとか覚醒などと呼ばれていることです。

そこには、不安もなく、心配もなく、排斥もなく、平安であり、安寧であり、愛そのもの、慈しみそのもの、そんな人生が待ち受けているのです。


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