悟りのレベル

スピリチュアル

十牛図でも書いていますが、悟りというのは、「悟った」or「悟っていない」というオンかオフかというものではなく、中間的なレベルが沢山存在します。
また、悟りというのは霊的な覚醒だけではなく、気づきといった意味もあるので、「悟った」という言葉には様々な意味合いが含まれています。
ブログで、「私は悟った」ということを書いている人もいますが、その悟りがどのレベルなのかを考えることも必要です。

自分なりの解釈でレベルを整理してみるとこんな感じです。このレベルの定義は今現在のとらえ方なので、時間が経てば変わるかもしれません。
ちなみに、私自身で言えば、レベル5からレベル6へ移行中という状態です。

【レベル0】
悟りというものが存在することを知らない。

【レベル1】
悟りというものが存在することは知っているが、その内容についてはわからない。

【レベル2】
人生の生き方、考え方などについて、気づきがある。ただし、それが行動にはまだ反映されていない。

【レベル3】
人生の生き方、考え方などについて、気づきがあり、行動に反映されている。

※ここまでは、霊的覚醒の悟りではなく、気づきの悟りになる。
 そのため、このレベルの悟りでは、霊的な能力が発露されることはない。

【レベル4】
悟りの体験がある。
悟りというのは、全てが一つであることを頭で理解することではなく、体験すること。その体験は言葉という限定的な表現手法を超えたものであるので、体験したことを言葉にしたとしても、十分説明することは不可能。
悟りの経験はあるが、それが、活動・行動レベルには至っていない状態。

【レベル5】
悟りの体験が、活動・行動レベルとなっている。
全てが一つ(統合)であることを理解ではなく、活動・行動の原点になっている状態。このレベルでは、自分の意識が分離と統合の間を行き来している状態なので、時として分離な行動も起きてしまう。まだ、私という分離した概念を持っている状態。

【レベル6】
悟った体験が、そのまま行動になっている。
日常の行動・思考が統合状態である。つまり、全ては一つであることを、日常的に感じ取っている状態。人を見ても、他人とは思えない、モノを見ても、自分以外の何かとしては見ていない状態。
これ以上のレベルでは、「私」という分離した概念がなくなるため、「私は悟った」という言葉そのものが矛盾している状態になり、「私は悟った」とは言わなくなる。

【レベル7】
深い悟りの状態。
もはや、私・自分という(分離した)ものが存在しない。すべては一つであり、自分という概念も発想も存在しない。肉体的には、自分というものがあるが、それすら自分を超えている存在として認識している。常に神と一つである状態。

【レベル8】
さらに深い悟りへ。
悟りには、限界がなく、さらに深い悟りへと進んでいる状態。

コメント

  1. ポン太 より:

    普段は全然悟っているレベルじゃないんですが、以前自分の境界線がなくなって、溶けちゃう(自分の場所が分からなくなるって言えばいいのでしょうか)感じになったりした事がありました。
    そこまでいくと(行った感じは全くないですが)悟とか、神とか分からない、真っ白な空間に肉体のない自分(霊体の境界線もなくなってしまっている)うーんバイオダイナミック治療を受けた時もこれに近い感じにはなりましたが・・・・
    でも不思議と思考も止まって(考えるコンセプトも無いんですけど)意識はあるけど、漂っている感じですね。
    臨死状態だったのか、なあ??悟っているのかも分かりませんが・・・
    永遠の一瞬の空間とは違うのですよね。
    死後はこんな世界なのかもしれないですが、どうなんでしょう??

  2. はぁぷ より:

    悟りのレベルというのは捉え方で違うのかもしれませんね。
    ある流派では、悟った後に人類そのものの苦しみを体験するということです。
    それと同時に、それ以上の喜びや至福をもたらされるという。
    こちらですとレベル6あたりになるのでしょうか。
    いずれにしても私には遠い眼[E:catface]になってしまうような内容です。

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