「祈り」と「願い」は本来別のものですが、神社に参拝している人を見ると、祈っているのか願っているのかよくわからない人を見かけます。
祈りの定義は様々あるので、あくまでも私の定義ということで書きます。
「祈り」とは、「神」あるいは、「大いなる存在」に繋がり、一体となることであり、ここに「願い」はありません。
神社の参拝の手順は、基本的に、
二拝 二拍手 一拝
となりますが、ここには願いを掛ける手順はありません。つまり、この作法は神と繋がり、一体になることが主であるということです。
神と一体化するということは、違う言い方をするなら、神に託してしまう、ということになります。
なので、「願い」がある場合は、先にその願いを念じてから、その先は神に託するということがポイントです。
「願い」というのは、あくまでも人間レベルの考えであり、神のレベルから見ればその内容が相応しくない場合もあります。その願いが叶わない方がその人のためになることもあります。
学校の受験ということで考えるなら、ある学校Aに入学したいという願いがあるならば、
「A校の受験が自分にとって最適な結果になるように願う」
のが、良い願い方になります。というのも、自分はA校が良いと思っていたのに対して、神様から見ればB校の方がより良いものになる場合、上記の願いであれば、A校には入れないという結果となり、B校に入学することができます。
ところが、
「A校に入学できるように願う」
のであれば、YESかNOかのどちらかの選択ししかないことになり、最適な結果からは遠いものになってしまうことになることもあります。
「人事を尽くして天命を待つ」
という言葉がありますが、まさにその考え方が「願い」としては一番良いやり方です。
コメント
わっかりやすい!!
そういう心でいると
『結果、よかった』って受けいれられますよね♪