全ては見かけにすぎない

私たちの大部分の人が、自分というものが存在し、それはこの自分の肉体と精神(あるいは思考)であると信じています。

ところが、自分というものは見かけ上あるかのように見えているに過ぎません。

全ては、例外なくただ一つというワンネスであり、ただ一つの存在です。
肉体も他人も自分もそのように見える、「見かけ」にすぎません。
自分の肉体という物質が存在するような、見かけがあるだけです。
自分の精神という他人とは独立した働きがあるような、見かけがあるだけです。
全ては、ワンネスの中に映し出された、映像と感覚という見かけが存在しているだけです。

この映像と感覚という見かけは、非常に巧妙に創られているため、あたかも物質や精神が存在するかのように感じ、我々はそれを信じることになります。
またこの見かけは、一定のルールに沿って創られているため、物理法則が存在し、物質が存在するように見え、そしてその物理法則に沿って、我々は活動することになります。
しかし、全ては見かけにすぎません。

見かけに過ぎないのであれば、肉体も精神も自由に変更できるかというと、この見かけを創り出している、一定の物理法則などのルールから外れて生きることはできないため、自由に変更することはできず、ルールに沿った変更しか行うことはできません。

コメント

  1. 神無月 より:

    隣町や海外など考えたときはあるのでしょうか?また大勢で同じ部屋にいる時は同じみかけを共有してみてるのでしょうか?

  2. yakumo より:

    > 神無月さん

    物質的現象については、同じ体験が起こるように、同じ見かけがあります。
    個人的現象は、人によってそれぞれ異なり、個別の体験になります。

    隣り町や海外を考えるというのは、個別の体験なので、人それぞれ異なる体験が起きます。
    一方で、実際にその場に行くのは物質的体験なので、共通の体験が起きます。

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