悟っていくプロセスは、快晴と嵐の両方を経験する

◆悟り・ノンデュアリティ

一度で全てを悟りきる人と言うのは非常にまれで、ほとんどの人は、小さな悟りや中くらいの悟り、そして大きな悟りといったものを何度も体験していくことで、悟っていくというプロセスを進んで行きます。

悟りのプロセスというのは、天気で表現すると、快晴の中をずっと進んで行くものだという思い込みを持っている人が多いのですが、実際には快晴と嵐の両方を経験しながら進んで行くことになります。

エゴが静かな時は、快晴の天気になりますが、エゴはそれ自身が存続することが目的であるため、エゴを解消するという悟りのプロセスにおいて、常に良い天気ということにはなりません。エゴが消滅していく段階において、エゴはあらゆる手段を通じて生き延びようとするため、時として、荒々しい心の嵐を呼び起こします。

人は、子供から大人になる過程において心が満たされなかった何かを持っています。そのため、心の満たされていない部分を、満たしたいという欲求を心の奥底に持っています。
しかし、これはエゴがあることによる分離の意識から発生するものであり、この欲求を満たすということは、エゴが勝利するということであり、悟りへ向かっているのではないということです。

ここで重要なのは、心の嵐が起きることが悪いと言っているのではないということです。これは悟りのプロセスにおいて、不可避的に起きることです。ある意味起きるのは自然なことです。

心の嵐を悟りのプロセスを進む推進力に転換することが大切です。

心の満たされていない部分を満たしたいという欲求が出たとき、その時に思い出す必要があるのは、私たちは全て一つ(ワンネス)であり、そもそも満たされていない部分や欠けた部分が無い存在であるということです。

満たされていない部分や欠けた部分があるように見えているのは、あくまでも分離の意識すなわちエゴがそう思わせているだけなのです。エゴは、とても巧妙なので、心の満たされていない部分を刺激することで、自分自身には何か足りないと思わせ、感情を引き起こします。そしてその感情という心の嵐に巻き込まれ、そこに留まってしまうことは、エゴの勝利でしかありません。

悟りのプロセスを進むと、心の嵐に巻き込まれてしまうことがあります。その時、「巻き込まれている」ことに気づくことが大切です。気づきを通じて、自分自身の本来の姿は、満たされていない部分や欠けた部分が無い存在である、ということを思い出すのです。
そうすることで、心の嵐を悟りのプロセスを進む推進力に転換することができます。

コメント

  1. tanaka より:

    心が乱れているなときは、抑えつけることもできないし暴れされるしかないのかと、なるべく巻き込まれないようにするだけの態度でいましたが、
    心の嵐を悟りのプロセスを進む推進力に転換する
    なんてことが可能なんですね。
    なんかスッときました!

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