効率的であることが良しとされている現代社会ですが、効率を追求することが創造性を失うことにつながります。
新しいモノ、新しい表現、新しいコトを生み出すということは、同時にたくさんの失敗をも生み出すということです。つまり、効率的ではないということです。
効率的に行うことが出来るのは、新しくないこと、毎日行っていること、何度も作っているものです。これらは、経験が積み重なっていくので、それによって効率を追求することが可能になります。
しかし、新しいものは、経験が積み重なっておらず、どういう方向に進めばわからないので、試行錯誤が必要になり、効率的ではありません。
スピリチュアルな成長においても、同じです。
セミナーの問い合わせなどにおいて、「どうすれば効率的に学べますか?」という質問があるのですが、新しいことを学ぶときに効率的に学べるときと、学べないときがあります。
義務教育のカリキュラムのように、これまで何年も続いており、たくさんの人たちが学んでいるものは、経験値があるので、効率というものを追求することは可能です。
一方で、スピリチュアルな学びの場合、すべての人に共通のカリキュラムを作ることはできません。一人一人の個性に合わせた学び(つまり、毎回新しい)をすることになります。そのため、効率を求めていくと、十分な学びにはなりません。
無駄なことをすることで、物事の全体像が見えることがよくあります。全体像を掴むには、自分とは関係のないこと、つまり無駄に見えることにも視点を広げたり、一度それをトライしてみるということが必要になります。
新しいことにおいては、無駄に見えたことを取り込むのが、結局は効率的であるということです。
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