人が肉体を持って生まれるというのは、私という分離体験をするためにあります。そのため、生まれた時には、自我(エゴ)という観念を持っていない(ゼロボディ)のですが、成長するにしたがって自我が強くなり、その結果として「私」という分離した体験をすることになります。
自我はあくまでも、分離体験のために存在しているのですが、多様な経験をするために、この場所(エゴボディ)にずっと留まっている人も沢山います。
しかし、それは本来の姿ではないので、いずれ元の自我がない状態に戻っていくことになります。それを死を持って迎える人もいますが、人生の後半において自覚的に進んで行く方が精神的な成長になり、来世に繋がっていくことになります。
エゴボディからゼロボディへの移行を行うためには、観念を変えていくことが必要になります。
人生の前半では、自我を体験するために様々な観念を得ていくことになりますが、そのままだと自我のままとなり、ゼロボディへ移行することが難しくなります。
瞑想などの修行において、何年も修行しているのに達することが出来ないというのは、この観念が変化せず、エゴボディのまま留まっているせいです。
観念を変えるためには、観念がどういう要素から成り立っているのかを知っておくと変えやすくなります。
観念を図式化すると、表層・中層・深層の三つの層として表現でき、それぞれが人の日常的な思考や行動を形作っています。
表層では、学習で得た知識が中心になりますから、他人に対して比較的説明しやすいものになります。
一方で、深層は、経験から得た信念が中心になり、この信念というのはかならずしも言語化できるとは限らないので、他人に対して説明することができないこともあります。
知識と信念が一致している場合は迷いがないのですが、多くの場合何らかのギャップがあり、そのギャップゆえに、中層ではせめぎ合いが発生し、悩むことになります。
インターネットで検索すると沢山の情報(知識)を得ることができる時代になりましたが、知識学習だけで、スピリチュアルなことを学んでいても、それが単なる知識に留まっていて、信念に変化がなければ、頭でっかちなスピリチュアルの状態に陥ってしまいます。最近はこのような知識はスピリチュアルだけど、信念はエゴボディのままという人を沢山みかけます。
重要なのは、知識を実践し、経験を積むことで知識を信念レベルまで掘り下げていくことです。そうすると、信念がエゴボディから離れていくことになり、ゼロボディに近づいていくので、やがて霊的な目覚めの時がやってきます。
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