スピリチュアルとノンデュアリティは何が違う?

スピリチュアル◆悟り・ノンデュアリティ

スピリチュアルとノンデュアリティはそもそも異なるものなのですが、ノンデュアリティのティーチャーがノンデュアリティの目覚めの事をスピリチュアルな目覚めと呼んだり、スピリチュアルな人がワンネスと言う言葉でノンデュアリティを語ったり、時には引き寄せの法則とノンデュアリティがごっちゃになったりと、その違いを正確に認識していないため、情報に混乱があるので、改めて説明したいと思います。

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スピリチュアル(霊的)とノンデュアリティ(非二元的)とフィジカル(物質的)は、三つの異なるジャンルです。この三つのジャンルは、完全に独立しているわけではなく、お互いに重なっている部分があるため、図で表現すると、こんな感じになります。

Fig1

お互いに重なりあう部分があるため、冒頭に書いたような混乱が生じています。

フィジカル(物質的)

この世界は物質で構成されており、精神的な活動も脳内物質の働きであるという理解で、この人生を生きるということです。全ては、物質が基本であるから、物質でない神や天使などについては、脳内で考えられている精神活動でしかないということになります。

科学や技術はこの考え方を基本的にしています。科学や技術の世界では、物質以外の神や天使などの存在を排除することで発達してきたという歴史があるので、多くの人がこの考え方を持っており、社会的には主流とも言えます。

しかし、科学や技術だけでこの世界を全て理解できるわけではありません。「死んだらどうなるのか」「生まれてきた理由」といった人としての根源的な問いや、私自身が何度も経験した「神様に呼ばれて初めての土地の初めての神社に道を迷うことなく正確に行くことができた」という体験、あるいはヒーリングやチャネリング、遠視などについては、この考え方では答が出ません。

つまり、この世界は全て物質であるという考え方だけでは、説明できないことが沢山存在するということです。

スピリチュアル(霊的)

スピリチュアルにおいては、この世界は物質だけではなく、エネルギー的なものが存在しておりそれらは、オーラやバイブレーションなどと呼ばれています。また、神や天使、あるいは龍神・眷属など肉体(物質)を持たない存在を認めるという考え方です。
なので、物質とエネルギー(あるいはバイブレーション)の二つによって、この世界は成り立っており、物質とエネルギーは相互作用があると考えています。なお、ここで言うエネルギーとは、科学的な説明が出来るエネルギーではなく、スピリチュアルなエネルギーです。スピリチュアルなエネルギーが存在するから、ヒーリングや祈祷などの行為によって、精神レベルや物質レベルへの影響を生み出すことが出来るということです。

フィジカル(物質的)とスピリチュアル(霊的)に共通する認識として、人や動物あるいは物質は、他とは独立して存在できるというものです。つまり、私とあなたは別の人間であり、それぞれ個人として存在するというものです。これは、フィジカルとスピリチュアルにおいては、疑うことのない事実であるとされています。
それ故に、私という個人が存在することは疑いようのない事として、普段使う言葉や考え方が出来上がっています。

ワンネスつまり、全ては一つであるということが、スピリチュアルにおいて語られています。ところが、ワンネスを語る人の深層においては、私という個人が存在することは疑いようのない事という信念があります。つまり、私という個人が原点にあり、それが実はみんな繋がっているということです。

ところが、真実はその逆になります。

ノンデュアリティ(非二元的)

全ては一つであるということが原点であり、個人というのは見かけとしてそう見えるだけなのです。つまり、個人というのは見かけでしかなく、現実としては存在するものではなく、原点ですらありません。

普段の生活や思考において、個人を原点とするフィジカルやスピリチュアルに対して、ノンデュアリティでは、全ては一つが原点であり、個人は実在しません。

これは、すぐに理解できることではありません。なぜなら、私たち人間は、分離された個人同士の人間関係を体験するために生まれてきているので、幼児から大人になる過程において、個人が存在するということを原点と考えるような思い込みを形成するからです。

スピリチュアルにおける、私という個人が存在することは疑いようのない事実という信念が、崩壊したところに、ノンデュアリティという全体性こそが原点であるという認識が存在します。

シンプルに表現すると、
スピリチュアル = 個人は(現実として)存在する
ノンデュアリティ = 個人は(見かけであり、現実としては)存在しない
ということです。
これは、全く異なった世界の見方です。

この世界が私たちの目の前に現れて来る順番は、
ノンデュアリティ → スピリチュアル → フィジカル
なのです。
ノンデュアリティが源であり、フィジカルは結果です。
これは、日常的な我々の感覚からは理解が難しいかもしれませんが、これが真実です。

どう考えたらいいのか?

フィジカル(物質的)とスピリチュアル(霊的)とノンデュアリティ(非二元的)は、この人生を生きて行く上での「立場」(あるいは「立ち位置」)です。立場なので、どれを選択しても良い人生を送ることができます。

そして、人は生まれる時に、人生においてどの立場を選択するのかということを刻印されて生まれてきます。どのような選択をするのかは、人によって異なり、様々なパターンがあります。

(1)フィジカル、スピリチュアル、ノンデュアリティのどれか一つの立場を選択して人生を生きる

(2)フィジカルからスピリチュアルに進んで、その立場で人生を生きる

(3)フィジカルからノンデュアリティに進んで、その立場で人生を生きる

(4)全ての立場を経験し、シチュエーションによって立場を切替えながら生きる

(5)スピリチュアルやノンデュアリティを経験するが、フィジカルに戻って人生を生きる

他にもパターンはありますが、フィジカルとスピリチュアルとノンデュアリティどの立場が上で、どの立場が下というのはありません。どの立場にも価値があり、どの立場も平等です。比較的多いのが(1)や(2)です。

私の場合は(4)になるようで、カウンセリングにおいても、来られる方の立場がフィジカルなのか、スピリチュアルなのか、それともノンデュアリティなのかによって、話す内容が異なります。

スピリチュアルとノンデュアリティの混乱

ノンデュアリティを教えているティーチャーに良く見られる事ですが、フィジカルから直接ノンデュアリティに進んで行ったため、スピリチュアルを経験していません。

Fig3
そのような人の場合、ノンデュアリティをスピリチュアルとして語ることが多いのですが、それは私たちが一般的に言っているスピリチュアルではありません。
それは、「物質ではない」という意味でスピリチュアルという表現を使っているだけです。具体的な何かのエネルギーやバイブレーション、神や天使の事を指している訳ではありません。

また、フィジカルからスピリチュアルへと進む人の場合は、ノンデュアリティを経験していません。

Fig2

スピリチュアルという「個人が現実として存在する」という立場から、ノンデュアリティ(ワンネス)を知的に理解しようとしても、ノンデュアリティは単なる知識ではなく体験であり奥深い所にある直感的理解が必要な真実です。自らの知識でノンデュアリティを思考的に理解しようとしても、理解不能に陥ります。必要なのは体験と直感的理解です。

三つのジャンル全てを経験していない人が、スピリチュアルとノンデュアリティを区別することなく表現すると、それを聞いたり読んだりした人が誤解したり混乱が発生してしまいます。

三つのジャンル

再度書きますが・・・

スピリチュアル(霊的)とノンデュアリティ(非二元的)とフィジカル(物質的)は、それぞれが異なる三つのジャンルです。

Fig1

この三つのジャンルは、完全に独立しているわけではなく、お互いに重なっている部分がありるため、これらの情報に接するときには、注意が必要です。

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