日本では、かつてより山は、神々の住まう処として、神聖視されてきました。そのため山は登る場所ではなく、聖なる場所として、信仰の対象の場でした。山が聖なる場所であることは現代でも変わらないのですが、レジャー登山・スポーツ登山などによって山が聖なる場所から、楽しむ場所に変質してしまっている(あえて言うなら荒らされている)のも事実です。
山が聖なる土地として、きちんと守られているところは、日本にもまだ多くあります。
代表的な山としては、奈良県桜井市南東部に位置する三輪山があります。大神神社(三輪明神)が麓にあり、三輪山を霊山として拝しています。先日、大神神社に参拝したのですが、そこに行くと確かに神様が存在していることを強く感じます。これほど神の存在を強く感じる神社はそうそうあるものではありません。そのため参拝する人も多く、行った時などは平日の昼間にもかかわらず、参拝客が絶えないほどです。
日本の聖なる山(霊山)として誰でも知っているのは、富士山ですが、富士山の場合は、レジャー登山・スポーツ登山の対象として見られていることが多くなってしまい、本来の日本國の第一の霊山という位置づけが忘れられている部分があります。
奈良・大阪において、代表的霊山としては他に、奈良の若草山・春日山、大阪と奈良の県境となる、生駒山があります。若草山・春日山から西に、生駒山から東西に線を引くと、そのレイライン上に奈良・大阪の重要なスポットがきれいに位置します。東西の線というのは、単に東西を結んでいるだけではなく、太陽のラインとして重要なラインとして古くから知られています。
二至二分という言葉があるのですが、一般的には知っている人はあまり居ません。
二至は、夏至と冬至、二分は、春分と秋分のことで、太陽が最も高度の高いところを通るのが夏至、もっとも高度の低いところを通るのが冬至、太陽が真東から昇って真西に沈むのが、春分と秋分になります。この四つの日は太陽が地球に降りそそぐエネルギーにおいて重要な日になります。
ここでは、春分と秋分の日になりますが、太陽が真東から昇って、真西に沈むということは、太陽のエネルギーが東西の軸にそって流れていくと言えば分りやすいと思います。
霊山の頂上から太陽が出ることになるのは、霊山から真西の方角になり、日の出の時にそのラインは太陽のエネルギーが強く流れる場所になります。
若草山、春日山、生駒山の頂上から東西に線を引くと、春分ライン、秋分ラインになるのですが、この三山のラインの間には、奈良・大阪の重要なスポットがきれいに収まることに気がつきます。
奈良の町が春日山と若草山までの間の空間を軸として作られてきていることが分かります。
特に平城京の場合は、若草山の頂上を宮の中心軸に置いており、こちらも太陽と霊山を意識した作りであるということですね。
もうひとつの古くからの街である、大阪の場合は、大阪の東側に位置する生駒山がさらに軸として加わります。古くは修験として知られていた石切神社とその他には若草山と春日山の間に位置しているのがわかりますね。
その石切山の位置する場所をそのまま西に行くと、大阪城がきれいに入ります。また、難波宮跡は生駒山と春日山のラインにきれいに収まります。
これを見ると、大阪城はこの三つの山のラインを意識していることがよくわかります。
春分・秋分の朝の日の出を迎えることで、太陽の持つエネルギーを受け取ることができます。
奈良であれば、春日神社、平城京の中央、大阪であれば大阪城天守閣が良いのですが、朝は入れないと思いますので、天守閣の東側で受け取るのが良いですね。もしくは難波宮跡で迎えるのも良いです。
他には、生駒山の頂上、生駒山に登って、春日山・春日神社のラインのところに立つのも良いです。