冬至の解説

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冬至の朝の玉前神社

冬至(とうじ:the winter solstice)

二十四節気の一つで、グレゴリオ暦では大体12月22日頃になる。
天文学的には、太陽黄経が270度で、北半球では太陽の南中高度が最も低い、つまり日中の太陽が一番低い日であり、そのため、日出・日没の方角が最も南寄りになる。

古代においては、冬至の前後になると太陽の力が弱まり、人間の魂も一時的に仮死する。すなわち、陰極まれば万物みな衰えて死に、太陽の帰り来る「一陽来復」によって再びよみがえると考えられ、日本ばかりでなく緯度の高い西欧でも古くから「冬至祭」が行われてきました。
冬至は二十四節気の一つであり、このあと「小寒」「大寒」「立春」と続き、本格的な冬の到来を示す日でもある。

冬至は現在我々が主として使っている暦(グレゴリオ暦)では毎年12月22日頃になる。
これはグレゴリオ暦の作り方が春分・秋分・夏至・冬至(これらをまとめて、二至二分と言う)を基軸として、地球の一年の公転周期(365.25636日)が365日ぴったりではないことを、1年=12ヶ月=365日をベースとしてうるう年を挿入したりすることで調整し、毎年の二至二分は概ね±2日程度に収まるようにされているからです。

冬至は新年

現在の暦では新年は1月1日になっているが、この日は政治的に修正された結果です。暦というのは本来天体の動きを表しているものなので、現在の暦(グレゴリオ暦)は天体の動きを正確に反映したものではなくなっており、二至二分(冬至、春分、夏至、秋分)の日取りがいずれも22日あたりになってしまってます。

本来であればこれらは暦を作成する上での起点となる日なので、かつては1日として扱っており、冬至(もしくは春分)は年の始まりとして取り決められていました。

そのため、冬至は1月1日だったのです。そうやって考えると、現在の暦は本来の日取りから10日ほどずれていることになりますね。

冬至はクリスマス(キリスト降誕祭)

クリスマスというとほとんどの人が12月25日がイエス・キリストの誕生日だと思っているのですが、実はイエス・キリストの正確な誕生日というのは分かっていないそうです。クリスマスの正式な表記は「Christmas」ないし「Xmas」になり、これは「キリスト(Christ)のミサ(mass)」の意味で、キリスト教の儀礼であり、誕生日という意味ではありません。

クリスマスにおける祭りは、もともとは収穫の感謝と太陽の復活を祈ったり大いなる自然神あるいは祖先神を敬う祭でした。冬至祭では、ごちそうを食べお祝いし今のクリスマスと同じように、ツリーをかざっていたようです。ということで、冬至祭とイエス・キリストとの関係はありませんでした。

今日のクリスマスは、さまざまなキリスト教以前の信仰とキリスト教が重なり合いとけ合った結果としてできあがったものだそうで、説によると、紀元325年ニケアで開かれた公会議で、この日を救世主キリストの誕生日と決めたといわれています。クリスマス(=キリストのミサ)の日取りは人によって人為的に定められたものなのです。

ところが、当時の暦はあまり正確なものではなかったため、当初は12月25日が冬至にあたっていたのですが、年月を経るにつれて冬至が12月25日ではなく、12月21日になってしまったのですが、12月25日の聖誕祭の日程を動かすわけにもいかず、結局そのままになってしまったのがクリスマスが12月25日に行われることになった起源になります。

東京において、冬至の日は、日出の太陽の光が神田教会から、東京カテドラルに達する日になります。
その太陽の光を通して、両聖堂がエネルギーが繋がることになります。神田教会には聖ザビエルの聖遺骨が治められており、東京カテドラルの胸像とともに、聖ザビエルのエネルギーが繋がる日でもあります。
詳しくは以下の記事を参照してください。

聖マリア・トライアングル
首都東京の中心部には、歴史のある3つのカトリック教会がきれいな二等辺三角形を形成し、それらの位置関係は、とても深い意味を持っています。そして、その歴史を紐解くと、聖母マリアと日本の関係が見えてくるのです。聖母マリアは日本の守護者でもあります...

【ミサ】
「ミサ」という言葉はラテン語のmissaに由来し、もともとは解散や終了を意味する言葉だったと言われています。司祭がラテン語でIte missa est (イテ・ミサ・エスト)と言って礼拝式の終了を告げていたことが原点だと言われており、このラテン語を直訳すると「礼拝式は終わります。行きなさい」となります。 つまり、ミサというのは神の祝福を広く伝えましょうという意味合いを持った言葉なのです。

冬至のダイヤモンド富士

冬至の前後には、高尾山の山頂から眺める富士山の真上に沈む太陽=ダイヤモンド富士を見ることができます。
高尾山は関東における修験道の霊山として知られる山で、その山頂から見える富士に冬至の日の前後には、その頂上にちょうど富士山が沈むというダイヤモンド富士という現象が見られます。
まさに、霊山と霊山を結ぶ太陽の光のラインがそこに現れます。
高尾山の山頂での日没は16:15分ごろになりますので、天気が良いとその時間に併せて多くの人が山頂の狭いテラスに集まります。

冬至 高尾山 ダイヤモンド富士
ダイヤモンド富士とは、富士山頂に太陽が重なり、ダイヤモンドのように輝く現象のことです。東京では、冬至前後に高尾山山頂から日没するダイヤモンド富士を見ることができます。 ということで、行ってきました。 午後に高尾山に登ります。 山頂付近には、...

この時期、高尾登山鉄道のケーブルカーの運転時間が延長になるので、ゆっくりと見ることがでます。高尾山に登るには、以下のページを参考にしてください。

高尾登山電鉄株式会社 > ダイヤモンド富士
http://www.takaotozan.co.jp/diamond/

柚子湯

冬至に、柚子湯に入り小豆粥や南瓜を食べると、風邪をひかないと言われています。

日本古来の太陰太陽暦
http://www3.plala.or.jp/Garten/kyureki/

朔旦冬至

旧暦(太陰太陽暦)では、冬至を含む月を十一月としているが、19年に1度、冬至の日が十一月一日となることがあり、これを朔旦冬至といい朔旦冬至は盛大に祝われた。 最近の朔旦冬至は1995年、2014年になります。

早稲田穴八幡宮の冬至祭

現代においては、神社で冬至祭りというのは昔に比べるとあまり行われてないみたいですが、東京23区では早稲田の穴八幡宮の冬至祭りが大きな冬至祭りです。

江戸城北の総鎮護である穴八幡宮では、江戸時代から続く、金銀融通の「一陽来復」御守を冬至から節分までの間授かる事ができます。 この御守を恵方に向けて高い場所に御祭りするとお金繰りが良くなると言う事で大変な人気があります。冬至の日が休日と重なると、授かるには数時間待ちになることもあります。

穴八幡宮 一陽来復 2021年冬至 ~ 2022年節分
https://en-light.net/archives/42438

以下は、神社本庁発行の平成祭りデータCD-ROMの由緒から引用:
御守は当社に伝えられる福神(打出小槌)に起因するもので、この打出小槌は新編武蔵風土記に記載があるように、公卿の水無瀬家が山城国宝寺より感得したものを当社に納めたもので、聖武天皇が養老七年(七二三年)の冬至の日に龍神より授けられた宝器と伝えられています。これに祈れば無量無辺の福徳果報を生ずると言われ、年々冬至の日に金柑、銀杏、柚子を供物として祭典が行われていました。

伊勢神宮における冬至

伊勢神宮の宇治橋は冬至の日の出方向に向かっており、冬至の朝は多くの人が集まります。

伊勢志摩経済新聞 > 伊勢神宮・宇治橋の中央から「ご来光」
http://iseshima.keizai.biz/headline/608/

日本の霊的・政治的中心地と冬至日の出ライン

宮中三殿冬至ラインを調べてみました。
冬至になると二重橋から登る日が宮中三殿の本殿へつながるラインとなります。 日の出の方向に房総半島まで行くと、ラインに対しては直角方向で2.65Kmの誤差になりますが、玉前神社があります。 一方、宮中三殿から日の出ラインを北西に目を向けると、東条会館、市ヶ谷防衛庁(旧大本営)を通り、所沢の米軍通信基地、入間航空自衛隊基地を経由して秩父市内に抜けます。
ということで、厳密に宮中三殿に合わせると、玉前神社は外れるのですが、皇居~国会議事堂という日本の霊的・政治的中心地の冬至日の出ラインということであれば、

玉前神社~皇居(宮中三殿)/国会議事堂/日枝神社~高麗神社~秩父神社

を冬至日の出ラインとすることができると思います。
冬至の日としては12月21日ですが、冬至に至る時間が16時であるので、日の出ということであれば23日(天皇誕生日)の方がより冬至に近いことになるので、23日の天皇誕生日に合わせて日の出を拝むというのもいいかと思います。

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