前記事「愛情が憎しみに変わるのはなぜか?」において、人には欠乏感あるいは不足感と呼ばれるものがあると書いていますが、なぜ欠乏感があるのか?
人は本来、全てを持った完全な存在なのですが、その完全な世界から一歩踏み出して、完全な世界ではできないことを体験するために、肉体を持ったことに起因します。
私たちが、生まれ、子供から大人へと成長する過程は、存在としての不完全さを“経験する”プロセスでもあります。
つまり、子供の自分は“小さな存在である”、“力がない”、“完全ではない”といった、完全な世界からすると対極の経験をします。また、自分の周囲のモノ(物質)、特に食や水、生活用品やおもちゃなどについても、完全な世界での無限供給とは対極の“制限”や“不足”といった経験をします。
これらは本来、完全な世界ではできない体験をこの地球上で行っているわけですから、あくまでも経験として捉えるべきことなのですが、この経験が非常に強烈に刻み込まれていくために、単なる経験ではなく、それこそが真実であるかのように思い込んで行きます。
なので人がこの世界を見るときに、自分は小さな存在であり、モノは常に足りないという観念を持って生きることになります。
しかし、真実は、自分は大いなる存在であり、モノはこの地球上に充分存在しているということです。
多くの人が、この二つの見方の間を揺れ動きながら生きています。
それは、私たちが地球に生まれてきた目的である、完全な世界から一歩踏み出して不完全を経験することを、ちゃんと満たしているということです。
私たちは、“不完全だが完全な存在”です。
不完全は経験であり、完全は真実です。
欠乏感というのは、あくまでも経験であり、真実ではありません。
真実を経験するためには、ただそれを経験すればいいのですが、欠乏は真実ではないので、経験できるようにするための仕組みがあります。
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