文献資料の特性

神社

神社の歴史を調べようとすると、文献資料に当たることになりますが、この文献資料が持っている特性を知っておくことが大切です。

神社の歴史においては、日本書紀・古事記は、第一級の文献資料とされていますが、これらの文献を書いたのは、その当時の政権を握っていた人たちによるものになります。

なので、政権にとって都合が悪い事実は、書かれないか、あるいは捻じ曲げられるか、場合によっては、全く異なった創作された伝承として書かれることになります。

なので、文献資料だからといって、正しい資料であるとは限らないわけです。

最近、息栖神社がかつて何処にあったのかを調べているのですが、息栖神社が元あった場所というのは、文献資料にはなく、現在の息栖神社に伝わる伝承しか残っていないようです。

かつて、どこかに実在したのであれば、文献とか地名とかに残っている可能性が高いのですが、息栖神社については、そういったことが残っていないようです。

息栖神社の甕の伝承では、息栖神社は、かつて日川地域にあったとのことで、

その昔(平城天皇の御宇大同二年 四月(八〇九年)数キロ下流の日 川地区より息栖神社が此の地に移 された際とり残されてしまった男・ 女二つの瓶は神のあとを慕って三 日三晩哭き続けたが、とうとう自 力で川を溯ぼり一の鳥居の下にヒタリ据え付いたと云う此の地に定 着して後もときどき日川を恋しが り二つの瓶は泣いたと云われてい る。日川地区には瓶の泣き声をそ のまゝの「ボウボウ川」と瓶との 別れを惜んで名付けた「瓶立ち川」 の地名が今も残されている。

とありますが(リンク)、文献資料などに残されていないこと、海岸で、真水が湧く場所というのは、どこにでもあるわけではなく、かなり限られること、などを考えると、瓶の重要性を際立たせるために、創られた伝説であるという考え方もあります。

創られた伝説であるとするなら、風土記などに、日川の「ボウボウ川」の地名が記載されていないということも、説明が付きます。

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