ノンデュアリティ その1

◆悟り・ノンデュアリティ

【ノンデュアリティの基本】

この一連の記事では、ノンデュアリティについて、基本からお話しできればと思っています。また、私のようにスピリチュアルを探究してきた人にも、あるいは初めてノンデュアリティに接する人にも理解できるようにお話ししたいと思っています。ただ、予め具体的なスートーリー構成があるわけではないので、行ったり来たりの説明になるかもしれません。

私の場合、前提となる知識までは書かないで、短く簡潔に書いてしまうことがよくあり、そういう場合初めてノンデュアリティに接する人には分りにくい文章になるかもしれませんので、分りにくい場合は質問をコメントで入れて頂ければ、コメントで回答するか、記事本文に追記します。
お付き合い頂ければ幸いです。

1.生と死

人は生まれ成長し、死んでいくという一連のサイクルを持っており、生まれたらいずれは死を迎えるということは、誰もが避けることができないことです。
一方で、日本の神社に祀られている神々は既に二千年以上あるいはそれ以上の歴史を持っている神もあります。人と神の違いは何かというとき、日本全国の神社を巡って神と対話してきた経験から言えば、人は肉体を持ち、神は肉体を持たないというのが一番大きな違いであり、それ以外の違いというのはそれほど大きくはありません。日本神道では、古くから人は神であると言っており、根本的な違いはないという立場を取っています。

人の肉体は時間と空間(二つを合わせて時空と言う)の中にあります。時間とはそもそもは変化を表すものであり、もし永遠に何の変化も無ければそこに時間は必要がありません。それ故に時空に存在する肉体は時間と共に変化することになり、生まれやがて死を迎えるというサイクルがそこに発生することになります。
一方で、神は時空を生み出す源であり、宇宙や地球・人を生み出してきたわけですが、時空を生み出す源には時間というものはなく、永遠の中に存在するから、生と死を超越した存在になります。時空を生み出す源は、空(くう)とか無(む)とも呼ばれます。

ここで言う神というのは、人格神として神社に祀られている神々のさらに源であり、大いなる存在という表現がされることもありますが、ここではひとまず「源泉」と呼ぶことにします。

つまり、私たちが通常認識している神々というのは、源泉から生み出された存在であり、人もまた源泉から生み出された存在であり、肉体を持っているかどうかという現れ方に差があるだけで、源泉から生み出されたものであるという点では、同じ存在なのです。肉体の有無が、人の役割と神々の役割の違いを創り上げているので、人と神は本質的には同じであるが、結果的に役割が異なっているということです。
そして、時空も源泉から生み出されたのであり、山も川も空も海も、全ての動植物や様々な物質も例外なく全て源泉から生み出されてきたのです。

スピリチュアルでは、我々は元を辿ればワンネスであるということが言われますが、それは全てが源泉から生み出された存在であり、根源においては全てが一つであるという意味です。そして源泉には時空が存在せず、永遠に存在する一なる源泉が存在するだけです。それ以外あらゆるものは、全てが源泉から生み出された存在であり、全ては平等なのです。

そして、あなたの本質とは、この源泉であるということです。源泉から切り離されたこともなければ、源泉以外になったこともありません。
これを読んで、自分の本質が源泉であるということを信じることができない、という思考が湧き上がってくるかもしれませんが、その思考も源泉が人を生み出した時に一緒に創り上げた思考なのであって、あなたの本質が源泉であるということは、まぎれもない真実なのです。
あなたの本質は永遠の存在であり、生と死を超越しているということです。

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