NHKの大河ドラマ「天地人」で、直江兼続が取り上げられています。
兜に「愛」という字をあしらっているので、「愛の人」などと言われていますが、その当時の「愛」という概念は現在とは異なるもので、言葉の意味は時代と共に変化します。
上杉謙信を師と仰いだ直江兼続ですが、上杉謙信は自らが信仰した毘沙門天の一文字である「毘」を旗印に使っていました。
兜の飾りというのは、力強いものであること、相手を威嚇するものであるということは当時の常識です。
上杉謙信の場合は、兜に飯縄権現や力強い月をあしらっていました。
旗印の「毘」は、上杉謙信が毘沙門天の転生であるということ(が真実かどうかはともかく)を表すために「毘」という文字を使っているわけです。
「毘」を旗印にしているということは、敵から見れば、生身の上杉謙信と戦うことは、毘沙門天と戦うことになるので、それだけでも戦意を低下させることになります。
そういったことが、戦国の時代では常識でした。
つまり、旗印や兜につけられた飾りというのは、戦場で自分の位置が敵見方の両方からよく見えるようにするものであり、さらに自分の強さを誇示するものです。
(なにぶん、私も戦国時代にいたので、そのあたりはよくわかります)
つまり、兜の「愛」という字が、現代の意味と同じだとすると、見方に対するメッセージとしてはともかく、戦場で対面する敵からみれば、弱弱しい武将に見えてしまいます。
上杉謙信を師と仰いだ直江兼続が、「愛」の字を掲げるということは、「愛」の字を持つ神仏への信仰があると考える方が自然です。「愛」の字を持つ神仏というと、「愛宕権現」もしくは「愛染明王」が考えられます。
つまり、直江兼続は戦国時代に、「愛」に生きたということではなく、「愛」の字を持つ神仏に力を借りることで、時代を生き抜いたということになります。
コメント
そうですよね。
どこかで私も、
「直江兼続の兜の文字『愛』は“愛宕権現”を表していた」、
と読んだ覚えがあります。
そうでなければ戦国時代は生き抜けませんよね。
現代の意味での「愛の人」なんて誤解も甚だしいですね。
“愛染明王”の『愛』であれば、
もっと強さが誇示できそうですね。
当然あの時代、呪詛合戦もしていたでしょうから。
直江公の愛の文字は諸説ありますね。
おっしゃる通り愛染明王、愛宕権現等々
上杉家は家康公とは結果的敵対してしまい敗者になってしまい、領地を縮小され雪深き米沢で困難をきわめたのですが
江戸時代を生き抜き明治まで続いたのは家運が強かったのでしょうか
米沢の上杉神社、上杉家墓所、国宝の洛中洛外図屏風や上越市の春日山、林泉寺など見所が沢山あります。
春、GWの上杉神社の桜はきれいで祭りも開催されよい所ですよ。そこで売っている米沢牛串焼きも旨いです。
9かいさん
現代人が愛宕権現や愛染明王をどれだけ知っているのかを考えると、それがいいかどうかは別としても、現代の意味での「愛の人」とした方が、視聴率は稼げると思います。
TVというのは、視聴者数をどれだけ獲得できるかが重要な事柄なので、あえて「愛の人」という位置付けをしたのではないかと思います。
秋月さん
上杉家は、武田家と違って長らく生き延びた家系ですよね。でも、過去生で武田軍にいた私としては敵なんです(笑)
なので、東北地方に行ったときも、米沢はただ通りすぎるだけでしたが、次回通るときは、色々見て廻りたいと思います。
先日、書き忘れましたが
米沢には小野川温泉というひなびた温泉街があり
あと、白布温泉や
山の中で冬季休業ですが
姥湯温泉という秘湯があり温泉も楽しめます。
小野川は入りましたが熱い湯でそこそこよいです。