起きていることは、ニュートラルです。
昨年から続くコロナの影響が色々なところで出てきていますが、起きていることはネガティブでもなければポジティブでもありません。起きていることはニュートラルであり、ただ起きているだけです。
起きていることを、ネガティブに捉えたり、ポジティブに捉えたりして、人は色々な思いに囚われていきます。
起きていることの意味付けをしているのは、個人の思考です。個人の思考は人それぞれなので、コロナをどう見るのかも人それぞれです。
もし、あなたがZoomなどの遠隔会議システムの会社で働いているのであれば、会社にとってコロナは強力な追い風になります。売上と利益が増大します。
もし、あなたが飲食業で働いているのであれば、コロナはダメージです。
しかし、飲食業でコロナをきっかけとして、家庭内消費に方向を切替えて冷凍食品を開発している会社もあります。これが成功すればコロナは追い風に代わります。
コロナをネガティブと見るだけであれば、ダメージだけを受け取ることになります。
コロナをニュートラルと見るならば、ポジティブなものネガティブなものの両方を受け取ることができ、ポジティブかネガティブかという選択を主体的にすることができるようになります。
コロナをニュートラルに捉えることで、次のステップにつながるきっかけに変えてしまうことができます。
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コメント
八雲さま
いつもありがとうございます。
コロナに限らず、この世に起きているすべてのことはニュートラル、ということですか?
明らかに私にとって良いことと思えることも、そうでないことも、それは私にとってニュートラルですか?
もしよろしければ、それについて少し補足の説明をいただけると嬉しいです。
(塞翁が馬というような考え方でしょうか。)
よろしくお願いします。
> あぐさん
はい。すべての出来事はニュートラルです。
その出来事が良いか悪いかは人それぞれの考え方によって異なります。
例えば、ある人が死んだ場合。その人の死を望む人にとっては良い事であり、その人の死を望まない人にとっては悪い事になり、良いか悪いかは人それぞれで違いがあります。
ある人の死という出来事は、ニュートラルに存在し、その出来事を見て人はそれぞれ良いとか悪いとかを言っていることになります。
他の例では、放射線が存在しますが、良い方向にも悪い方向にも使えます。
良いか悪いかは人間が決めていることであり、放射線が存在していることはニュートラルです。
> 明らかに私にとって良いことと思えることも、
「私にとって」というのは、ニュートラルな出来事の意味付けを「私」が既にしている状態です。そのため、ニュートラルでは無いように見えているだけです。
「私にとって」以前にも出来事は存在しています。その時その出来事はニュートラルです。
八雲さま
ありがとうございます。
お返事をよんで、起きた物事をついつい「私にとって」どうかだけ、で考えがちなのだなと思いました。
「起きた物事は全て(その人にとって)意味がある」と聞きますが、実際はニュートラルでしかない。となると。。??
もしよろしければ、それについてももう少しご説明いただけると嬉しいです。
> あぐさん
本来別々の二つのことが一緒くたになってます。
[出来事] と [意味] は、本来別々のこと。
[出来事]は、私とは関係なく起きます。この時点ではニュートラルです。
[意味] は、人間の心の中に存在します。これはニュートラルではありません。
まず最初に、[出来事]だけがあり、この時点ではニュートラルです。
その次に、[出来事]を見た人にとっての[意味]が存在します。[意味]はそれぞれの人間の心の中にあるものであり、思考による判断が加わるので、ニュートラルではありません。
八雲さま
ありがとうございます。
コロナ同様、「私に起こる物事」もニュートラルに捉えるようにすることが、次のステップにつながるのですね。(私にはまだ難しいです。。)
しつこくて申し訳ないのですが(笑)、「あなたに起こることはすべて意味がある」とよく言われているのも、それをポジティブに捉えようとする意味では有効ということでしょうか。
嫌なことが起きた時、その現実をなんとか受け入れようと努力しているときに、いつも助けられている考え方ではあります。
> あぐさん
ニュートラルについて、別の角度から説明します。
人が地球上で人生を生きるのは、人が舞台で芝居を行うことと似ています。
人が人生というものを生きるため場所としての地球があり、その地球で人が様々な人生を展開して生きています。
同じように芝居では、舞台という場所があり、そこで様々なストーリーが演じられます。
ここでは、[地球]=[舞台]、[人生]=[ストーリー]という関係です。
芝居において、舞台という場所はニュートラルな空間です。そこには[意味]が存在しません。
人が演じて初めてストーリーが表れて、そこに[意味]が表れることになります。
舞台はニュートラルだから、様々な人たちが異なるストーリーを演じることができます。
舞台を映画と置き換えても同じです。
映画を映し出すスクリーンは、ただの白い布です。そこに映像を映し出す前には、ストーリーは存在せず、ただニュートラルなままです。
「あなたに起こることはすべて意味がある」という事を語っている時は、舞台あるいはスクリーンについては、何も語っていません。そこで演じられるストーリーに意味があると言っているわけです。
でも、そのストーリーを表現する舞台あるいはスクリーンは必要です。
そして、その舞台あるいはスクリーンは、常にニュートラルであり続けます。
八雲さま
ご丁寧な説明、ありがとうございます!わかりやすかったです。