煩悩とはエゴである

東洋において、煩悩とされているものは、以下のようなものがありますが(ウィキペディアから引用)

貪(とん):別名を貪欲、愛という。万の物を必要以上に求める心である。
瞋(しん):瞋恚(しんに)ともいう。(自分)に背くことがあれば必ず怒るような心である。
癡(ち):別名を愚癡(ぐち、愚痴)、癡、また無明ともいう。 万の事物の理にくらき心をさす。

煩悩の場合は、心の働きとして見ているのに対して、西洋では心の構造として、エゴ(自我)という表現をしています。

どちらも同じものを見ているのですが、東洋と西洋では見方・表現が異なっているということです。

スピリチュアルな目覚めの方法として、東洋的な煩悩を消滅させるということと、西洋的なエゴを解消するということは、基本的には同じことを行っているわけです。

今日(2014/7/11)から、関東三十六不動霊場を巡り始めるのですが、巡るのは既に決まっていたのに、なぜ不動明王なのかが良くわからなかったのですが、煩悩とはエゴであるということに気付いて(少悟して)理解しました。

西洋的なアプローチでは、エゴを解消させるという方法をとりますが、東洋的なアプローチとしては煩悩を消滅させる方法になり、これをサポートしてくれるのが不動明王であるということです。

先日までの、秩父三十四観音霊場めぐりでは、すべてが一つであることを感得して行く際に、観音菩薩がサポートしてくれていました。

関東三十六不動霊場では、エゴ(すなわち煩悩)の解消にむけて、不動明王がサポートしてくれることになりそうです。

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