「神社に呼ばれる」という表現をよく使っていますが、「呼ばれるって、どういう感じですか?」という質問もよく受けるので、ちょっと書いてみたいと思います。
「呼ばれる」ということに関しては、それを表現する良い言葉が日本語にはないので、「呼ばれる」という言葉で代用しているのが現状です。
しかし、それだとこちらのブログを読んでいる人には、よくわからない表現になってしまうので、少し解説してみたいと思います。
あくまでも、私の体験ということなので、書いておきます。
「呼ばれる」ことと、それに従って「行動する」というのは、一般的には二つの事象とされますが、真に呼ばれる場合、それは二つの事象ではなく、ただ一つの事象です。
つまり、「呼ばれる」ということは、その場に行くための「行動する」ということと、分離できない一つのことになります。
なので、その場に行くということが、自然な行動になってしまいます。
英語で「Nature calls me」という言葉がありますが、まさにそんな感じです。
あるいは、「腹が減ったから、何か食べる」という行動・行為と言ってもいいでしょう。
つまり、呼ばれる=行動するが、完全に一体化しているのであって、「呼ばれた」→「行く」という因果の関係ではなく、「呼ばれる=行く」という一体化になります。
なので、行かないという選択肢はここにはありません。
登山家が、「山が私を呼んでいる」という言葉を発することがありますが、その心象は私にはとてもよく理解できます。
「行かない」という選択肢がない状態です。
この感覚は、分かりにくいかもしれませんが、「腹が減ったから、何か食べる」というのは、誰にでもある体験です。この感覚が神社に呼ばれるという感覚と同じです。
つまり「腹が減る」と「何か食べる」の間に、疑念も疑問もない状態であるということです。
なので、「呼ばれる」と「そこに行く」との間には、疑念も疑問もない状態であり、行かないという選択肢すらありません。これは抵抗しているということではなく、そもそも行かないという選択肢を考え付かないということです。
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