久しぶりに、悟りの話を書きます。
悟りたいと思っている人が、
色々なことをやっても、なぜ悟れないのか?
気付いて見れば、それはとても簡単なことです。
自我が抵抗しているからです。
それを解除するためのフレーズはこちら:
「私は真我が支配することを認めます」
つまり、真我への明け渡しを宣言するということです。
(続きはコメントへ)
久しぶりに、悟りの話を書きます。
悟りたいと思っている人が、
色々なことをやっても、なぜ悟れないのか?
気付いて見れば、それはとても簡単なことです。
自我が抵抗しているからです。
それを解除するためのフレーズはこちら:
「私は真我が支配することを認めます」
つまり、真我への明け渡しを宣言するということです。
(続きはコメントへ)
コメント
記事という形のメッセージの純粋性を保ちたいので、続きはあえてコメントで書きます。
悟りまであと少しの人は、
「私は真我が支配することを認めます」
と宣言すると悟ります。
悟るまでの道のりが長い人は、
「私は真我が支配することを認めます」
を毎日繰り返し宣言することが必要です。
自我の支配を止めて、真我が支配するようにすることが必要です。
こんにちは。
この記事を読んだ後にヨガのクラスを受けました。
ゆっくりと身体の筋を伸ばしながら、痛みから気を外らせる時に
「私は真我が支配することを受け入れます」
と心の中で唱えました。
(うろ覚えだったので認めますではなく受け入れますと言いました)
すると、私の内側に
命を感じました。
他人はもちろんのこと、自分自身でも支配することの出来ない命。
自分のものではなく、ただそこにあるもの。
最近ちらちらと感じていた感覚ですが
はっきりとその存在が殻を破って視えたような感じです。
あ、これだわ、ずっと探していたもの、
取り戻したかった感覚。
もっと感動するかと思っていましたが、意外とすんなりと受け入れて、
一仕事終えた気分です。
これは八雲さまにご報告しなくてはならないな、と思い
コメントしますね。
いつもありがとうございます。
> akismileさん
コメントありがとうございます。
感覚取り戻せて良かったですね。
フレーズの末尾は「認めます」でも「受け入れます」でも、真我に明け渡すという意味は同じなので、どちらでも構いません。
自分の内側に存在するものを視る時や一瞥体験の時など、事前にこうなるだろうと予想するのは自我が行っているので、予想すればするほど、その通りになりません。
予想していた自我が脇に退くのだから、予想外のことになります。