祈るということ

祈りが大切であり、力があるものであることは、色々な人が言い、色々な宗教でも大切にされています。
確かに、祈りに力があることはいえます。
でも、沢山の人が祈りを捧げている割には世の中が良くならないというのはなぜでしょうか?
理由はいくつかあると思いますが、そのうちの一つは世界観にあると考えています。
神道における祈りは「祝詞」に代表されると思いますが、私は祝詞をあげたことがありません。しかし、祝詞が大切なものであることも、神事において重要な役割を持っていることも理解しています。
私が祝詞をあげない理由は、祝詞の文章が持っている分離感です。
祝詞は基本的に人と神が対面し、人が恐こみながら物申す。つまり、恐れながら祈りごとを申し上げる。という文面になっているものが多いです。つまりここには、神道がそもそもの原理として語っている、人は神の分け御霊であり、人が神であるという一体感とは異なるものになっています。
人が自ら(地球においては、制限のついた)神であると意識するのであれば、恐れながら申し上げるというのには違和感を感じています。
また、他の宗教においても同じようなことを感じています。
多くの人々が神と分離した意識の中で、祈りを捧げたとき、祈りの効果はかなり低いものになると思います。
多くの人々が「この世界は自分である」「自分は(地球においては、制限のついた)神である」という意識の中で、祈りを捧げたとき、とても大きな効果をもたらすのではないでしょうか?
これは、1人1人の世界観(もしくは意識)が変わるとき、世界(地球)が変わるのだと言うことができます。
世界観を変えるのには色々な方法がありますが、私にとっては一番大切なのは、知識なのだと思っています。学校や社会の多くの人が言っている知識だけではなく、スピリチュアルな知識や世界観が普及したとき、この世界も変わっていくのだと考えています。

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