呼ばれるという感覚は、その経験がある人でないと分かりにくいのですが、神社や聖地に行く時は、やはり「呼ばれ」ます。
意識がその呼ばれた場所に繋がるという言い方の方が良いかもしれませんが。行かないことには、次が始まらないといった感じです。
今回も、呼ばれているので、行ってきます。
呼ばれるという感覚は、その経験がある人でないと分かりにくいのですが、神社や聖地に行く時は、やはり「呼ばれ」ます。
意識がその呼ばれた場所に繋がるという言い方の方が良いかもしれませんが。行かないことには、次が始まらないといった感じです。
今回も、呼ばれているので、行ってきます。
コメント
「呼ばれる」とのことですが、先日、駅のホームで秩父三十四箇所札所めぐりのポスターを見て以来、突然すごく行きたくなりました。札所めぐりもしたいのですが、とにかく頭の中が「寺!寺!寺!」と言う感じで、とりあえず目黒不動尊に行きましたが、とても良かったです。今はその衝動は少し収まってますが、お寺めぐりしたい気持ちは変わりません。これはどうなんでしょう。秩父は好きな町です。
たなか さん
「呼ばれる」のと「行きたい」のはちょっと違いがあります。
「呼ばれる」場合は、とにかく行かないと物事が先に進まなくなってしまうので、行くしかないです。
私の場合は、「呼ばれている」のに行かないと、罰金喰らったり(!)、スケジュールが狂ったりと明確にわかります。逆に「呼ばれている」時に行くときはスムーズで、今回もゴールデンウィークの最中なのですが、直前でもちゃんと宿は取れるし、渋滞にも合わない、こんな感じになります。
それに、呼ばれているときは、自分の奥底でそれが明確に分かります。
「行きたい」の場合は、衝動的になります。なので、類似の場所に行って収まってくるようになります。
行かないと、物事が進まないということにはならないのが普通です。気持ちがあって、他の事に手が付かないという状態にはなることがありますが。
整理すると、「呼ばれる」は外的な現象に対して、「行きたい」は内的な現象と言うことができます。