*記事を更新しました (6/20 AM07:40)
他の話題なら、「自分はこの分野について、この程度できる」ということを言っている人が、スピリチュアルな能力になるといきなり、「ある」か「ない」かという話によくなります。
つまり、一般的なスキルの話であれば、どの程度というアナログ的な測定になるのに、スピリチュアルなスキルになると、「ある・なし」というデジタル的な判断になる傾向が良く見られます。
カウンセリングなどの中で、よく聞くのが「私には、霊感ありませんから・・・」というフレーズです。
人間は、霊的な存在であるわけですから、霊感=ゼロ というのは、死んでいるということで、生きている人には、霊感があります。
というと、「でも、何も見えないし、聞こえません」という言葉が返ってくるのですが、霊感というのは、単純に「ある・なし」というものではなく、どの程度あるのかが大切です。
それを説明をするのに、カウンセリングの中で、「1から5」または「1から100」の中で、クライアントさんがどの程度なのかという指標を使うことがあります。
指標を使うのは、能力を判定するためではなく、能力には幅があることを理解してもらうためです。なので、数字がいくつだったら、何ができるかというものではなく、自分の立ち位置を理解してもらうということが大切です。
「1から100」の場合は、大体こんな感じです。
1~20 霊感をほとんど感じない、今生では霊感を扱わない人たち
21~30 直感(=霊感)はあるけど、それが何なのかよくわからない人たちのレベル
31~50 直感(=霊感)を、それとは知らないが活用している人たちのレベル
51~70 霊感=直感を活用し、訓練している人たちのレベル
71~80 霊的な仕事のセミプロな人たちのレベル
81~100 霊的な仕事をフルタイムでしているプロのレベル
ここでは、数値の細かいことは重要ではなく、自分自身の霊感がどのあたりなのか、また自分が霊感を活かしているのかどうかが重要です。また、上記の数値は訓練によって変化します。
私自身で言えば、1990年頃は21~30のレベルでした。その後本を読んだり、様々な経験をすることで、81以上のレベルまで、10年程度で進んできました。
プロのレベルまで進むのかどうかは、その人が役割を持っているかどうかによります。これを「御呼びがかかる」と表現する人もいます。プロスポーツの世界もそうですが、プロとしてやっていける人は、そのスポーツを楽しんでいる人口全体からすれば、ごくわずかな人数になります。
つまり、特定のスキル(プロスポーツ、霊的仕事)については、その裾野には沢山の人たちが存在しますが、プロになるのは、役割を持っている限られた人数の人達ということになります。
ここで言う役割というのは、「選ばれた人」という意味ではありません。あくまでも、それぞれが持っている「役割」であり、それぞれの役割に上下はありません。それは職業に貴賎がないというのと同じです。
プロになるというのは、そういう役割を持っているということで、それ以上でも、それ以下でもありません。また、プロにならない人の場合でも、それぞれに役割があります。大切なのは、自分が持っている役割を果たせるかどうかです。
スピリチュアルなスキルについて少し説明を加えておくと、会社での仕事で使うようなスキルというのは、仕事ですからそれを覚える人全員がプロになってもらわないと会社として困るわけです。とりあえず、こちらをビジネススキルと呼びます。
ビジネススキルでは、それを覚える人たちが仕事としてこなせる一定レベルまでのスキルに全員が到達できるようなスキルの構造を持っています。
一方で、芸能やプロスポーツでのスキルでは、裾野が広く、プロになるのは一握りの人たちになります。こちらをアートスキルととりあえず呼びます。
アートスキルでは、全ての人がプロになることはありませんし、そういった方向性を持ったものでもありません。
スピリチュアルな能力は、こちらのアートスキルになります。
なので、スピリチュアルな能力、たとえばヒーリングやチャネリングなどのスキルを身につけることが出来る人は沢山いますが、その道のプロになる人は限られた人数になります。
野球には草野球があるように、スピリチュアルについても、草スピがあっても良いと思います。
草野球で大切なことは、「楽しむこと」。草野球にプロの選手が入ってきて真剣勝負をすると、他の人たちとの技量の差がありすぎて楽しめなくなってしまうように、草野球では、技量の上下ではなく、野球を楽しむことが大切です。
草スピでも、技量(上記で言うところの指標)の高いかどうかよりも、楽しむことの方が大切になります。
スピリチュアルな技量を高めようと、必死になっている人を時折見かけますが、そういう人ほど楽しむことを忘れています。スピリチュアルな世界も他の世界と変わることはなく、まずは楽しむことそれが大切です。
コメント
霊感が1から100とすると、
お役目もあるでしょうが、
実際にお仕事についてらっしゃる方
は具体的にはいくつからいくつくらいの方が多いのでしょうか。
観え方と霊格(周波数)の相関関係に興味があります。
概ね、能力は水平方向、霊格は垂直方向(主に上)の深度や視野をもたらす物と捉えているのですが、八雲さんは経験上どのように捉えてらっしゃるのでしょうか。
鎮魂帰神法で有名な神道家本田親徳は審神に重点を置いた一方でその限界性解消の糸口を、浄心や霊格の向上に求める帰結だったと記憶します。
「見え方と真の深さと進歩度」
この辺りのテーマが最近気になっています。
「高過ぎて見えない」という側面が存在する一方で、「指向性の違い」も存在し、この双方がまた真偽を見え難くしていて悩ましく、狂おしいと申しますか、、(笑)
草スピっ!いい言葉ですね♪
じゃあ、草スピ第一号で!
生活の中に、ちょっとスピを。
時々、エンジェルカードを引いてみる。とか?
スピの本って、すっごく面白いし、新しいアイデアが満載だから、楽しいんだけど、その後来るのは、「私もこういうことが分かりた~い!見た~い!聞きた~い!」でした。
でも、そういう期間を経て、”そういうのは、本当に必要か?もっと大事な物があるんじゃないか?”って考え始めて、今度は極端に離れてみたり。
そうじゃなくって、草スピ。そう考えれば、自然なスタンスで楽しめそうですね。
来週月曜日、伊勢神宮に行く予定です。
残念ながら、八雲さまご一行とは少し日程がずれてしまいますが、楽しんできます。
良いご旅行を~(^o^)丿
[50]と【51】との差って、世界の反転が起きるような?
数年前に、よく知らずに購入した石の意味の一つに、
『霊力が高まる』とあったのですが、霊力が高まってくると、
自ずと【51】の世界に足を踏み入れることになるのか?
それとも、[50]までの世界で、役割として授かった
才能の“ユニークさ”みたいなものが際立ってくるのか?
「霊力」という言葉の理解がずっと薄止まりでいるので、
もしよろしかったら、お話しを聞かせていただけませんか?
よろしくお願いいたします。「草スピ」の発案、好きです^^
お久しぶりです。
久々に、「う~ん、うん、うん。」と、ニンマリうなずいてしまう八雲節を拝聴できて、のこのこ出て参りました。この辺りは深いテーマですよね~。コメントが多い事からも伺えますね。
みやたさま(はじめまして。)のコメントにも、すっごい共感できました。^^
スピリチュアルって、いつも紙一重の世界だな~と思わずにいられないのです。どんな能力があろうとなかろうと、どんな仕事をしていようと「心」=ココロ=シンが大事だなーと思う今日この頃です。
みえる(見える・観える)、みえない・・・については、つい好奇心がそそられてしまいます。しかし・・・みえる、みえないは、現象のひとつであり、それが主題ではなく、最終的に、その先に、何を得られるのか?ということの方が大切なんだろうな、と私は個人的にそう思っています。どうなのでしょう~?
あざらしさん
執筆途中のコメントだったので、本文書き終えたときには、本文の中に説明をしていますが、実際に仕事についているといっても、ボランティア・アルバイト・フルタイムと色々あります。
レベル的には、70以上になりますが、実際にはそれより低いレベルでも仕事としてやっている人もいるようです。
AKさん
「霊格」という言葉については、あえて使っていないです。
霊格が高いとか低いという表現をする人がいるのですが、その発想では、格が高い=偉い という発想につながりやすいため、ここではあえてそういった表現を使っていません。
霊格という言葉ではなく、人格という言葉で言うなら、人格と霊的スキルには相関関係があるかというと、かならずしも相関関係にはないというのが現実だと思っています。
人格と霊的スキルには相関関係があるという期待を持っている人も多いと思いますが、拝み屋さんの世界などについて、知れば知るほど、相関関係はないことがわかります。
これは、一般社会でも、仕事が出来る=人格者 ではないことを考えると、霊的な世界でも同じ状況が存在します。
なので、霊的スキルを高めると同時に、人としてのあり方を高めるということが、大切だと思っています。
みやたさん
草スピとは、「スピリチュアルを生活の中で楽しむこととして取り入れること」と考えています。
みやたさんが言われるように、自然なスタンスで楽しむことが大切ですね。
丹々さん
[50]と[51]の間では、直感(=霊感)を意識的に使うかどうかが違うので、ずいぶん違いが出てくるポイントになると思っていますが、この変化は分断的な変化ではなく、直線的な変化であると考えています。
つまり、そのポイントで何かが極端に変わることはないが、60になって振り返ってみると、そこが変化点であることが認識できるような、緩やかな変化ということです。
霊力が高まる石というのは確かに存在するのですが、それは絶対的な数値変化(50→60)を起こすのではなく、相対的な変化を引き起こすものなので、今のレベルから+10するといったものになります。
なので、レベル10の人が使うと、それほど変化を感じないが、レベル60の人が使うと、大きな変化を感じることになります。
ミカ足さん
お久しぶりです。
八雲節ってどんな節回し?カツオ節とは違うんでしょうか?(笑)
霊感に関しては、確かに深く長いテーマですね。上記のコメントにもありますが、能力と人格はイコールではないので、それを行う前提としての「心」は大切ですね。
hokoさん
その先に何が見える・得られるというのは大切だと思いますが、先ほどのコメントにもありますが、三次元的な限界を突破した世界を見ることができる世界であることを考えると、「その先」を三次元的な知識と経験で想像してしまうと、得られるものに限界が出てしまうことが多いです。
なので、そういった「何か、期待するもの」すら外してしまうことが、より良い経験をするには大切なポイントの一つになります。
私は、三次元的なものに限って何を得られるのか?と考えてはいないんです。そういう区切りを外し、ただ単に、その先にどのような学びを得られるのか?ということでした。
八雲さんのコメントに、レベル的には、70以上になりますが、実際にはそれより低いレベルでも仕事としてやっている人もいるようです。とありましたが、このような人が仕事としてやる場合は、どのような仕事の内容(カウンセリング?)になるのでしょうか?
実際にはスピリチュアルカウンセラーとか、霊能者になるんですよね?
70以下の人が仕事としてやった場合、どのようなカウンセリングになるのでしょうか?
壷を買え~!!みたいな事ですか?
ちょっと霊感が強いみたいな感じですか?
よくわからないので詳しく教えて下さい。
八雲さん、
経験談を添えてお話しくださり、ありがとうございます^^
あの石が、私のもとへ来て一緒に歩んでくれる意味を
感じ取りながら、変化ある暮らしを楽しんで行きます☆
hoko さん
その先に何があるのかというと、(この記事は草スピなので簡単に説明すると)覚醒ということになるでしょうか。じゃぁ、覚醒とは何かというと、これまた説明が難しい(笑)
スピリチュアルの世界は、言葉で説明できるものと言葉では説明できないものがあって、その先にあるのは、言葉では説明できないものの世界になるので、それを言葉化しようとすると、長い説明になってしましますね。
珠子さん
スピリチュアルカウンセラーという定義はかなりあいまいなところがあります。
きちんと定義すると、それから外れている人たちがいっぱい出てくるのですが、そういう人たちもスピリチュアルカウンセラーを名乗っているので、「スピリチュアルカウンセラーって何?」と聞かれてもなかなかうまく説明ができないのが実態ですね。
私の定義では、いわゆる霊視・霊感をつかって仕事をしているカウンセラーということになります。
ここで説明しているレベルは、分かりやすく簡潔な説明にしたので、補足的に説明すると、
「霊的レベルの高低と、仕事としているかどうかは別」になります。
霊的レベルが高いけど、霊的仕事ではなく普通の仕事をメインにしている人もいます。
一方で、霊的レベルは低いけど、いわゆるスピリチュアルカウンセラーと名乗って仕事をしている人もいます。
霊的レベルが低いけど、プロのカウンセラーという人には何人か出くわしましたが(名前は伏せておきます)、そのときの特徴は、
・誰が来ても、同じ説明をする(ワンパターン・カウンセリング)
・どう解釈していいのか分からない霊視をする(解釈不能・カウンセリング)
というものがありました。
一方で、仕事とはしてないが、霊感が強いとされる場合でよく見かけるのが、
・「あなたの後ろに誰々がいる」ことを言うが、そもそもそれが相手の人との縁なのか、自分自身に縁があって見えているのか区別が着かないため、誰彼なく、そういった言葉を発してしまう
ここまでは、本人は真面目なパターンですが、いわゆる壺商法のような人たちが居るのも事実ですね。
あと、ややこしいのが、これまで占い師と名乗っていた人たちが、テレビの影響もあって、スピリチュアルカウンセラーを名乗っていたりしますが、これはあくまでも占い師ということになります。占いは、手法が形式化されているため、霊感がなくても一定レベルまでの結果を出すことが可能です。
丹々さん
私も時折、霊感向上をサポートしてくれる石を買うことがあります。
ちなみに、先日買ったのはヒスイの勾玉です。ある程度以上良い物であれば、ヒスイの勾玉も良いですよ。
函館のすずめです。こんにちは。
ちょうど気になるところの記事でしたので、立ち寄らせていただきました。
私は日常、ほのかにスピリチュアルな側面を取り入れて楽しんでいるのですが、スピリチュアルな人達との関わりでは、ほとんどつまづいてしまって、楽しめずにいます。
それはさておき、スピリチュアルと恋愛は両立できるのでしょうか。私はそのことが気になります。1つには、スピリチュアルな見地に立つと、恋愛感情というのは錯覚のようなものだと感じるし、その一方で、時折、恋愛感情よりも強い情動が自分の中を行き交うので、全体、恋愛というプロセスは成り立たなくなってしまう気がします。また、恋愛感情の最中にスピリチュアルな人と交流していると、あれこれ茶化してくるので、どちらのことについても楽しくなくなってしまいます。
また、スピリチュアルな愛というのは、一本釣りではなくて、はえなわみたいなものですから、特定の女性と結ばれたいと思う恋愛感情とは、かなり性質が異なるような感じがします。仮にスピリチュアルが仕事であれば、仕事は仕事という風に線引きできるわけですが、草スピの場合は、趣味ではえなわをしていることになりますから、これだとやっぱり恋愛にならないのかな……と思い悩む次第です。
八雲さんへ
説明をしてくださってありがとうございました。とても良く分かりました。
また寄らせていただきますね。
そして近い内にカウンセリングにも伺うと思います。
そのときは宜しくお願いします。
すずめさん
スピリチュアルと恋愛は両立できるのかというと、結論から言えばできます。
でも、スピリチュアルの入り口に立っているときは難しいでしょう。というのも、この世界をスピリチュアルな側面から理解し始めたときには、広い意味での愛情に意識が向くことになるので、そちらに対する意識が中心になってしまうので、難しくなります。
そして、広い意味での愛情というのが、自分にとって当たり前になってくれば、広い意味での愛情をべースとして、個人に対する愛情というものを意識できるようになります。
これは、もっと高い意識レベルの恋愛感情と言ってもいいかもしれませんね。これは草スピな人の場合でも、そうでない人の場合でも同じです。
ありがとうございます。
例え話をすると、ある女性が女教師だったとして、私は漠然と広範囲に「女教師に対する祝福」を捧げているとすれば、その女性も祝福の範囲に収まりますが、淡くかぶさる程度です。
また、その女性に対する特定の愛情を持ったとしても、「その女性にとっての最適解」を探すことになるので、それが私によって為されるものでなくても良いとすれば、具体的に私が関わることが何もないということもありえます。
また、その女性をどうしても必要としている男性がいて、そのことを主張している場合には、私にとって、その女性がいなければ自分が成り立たないということにはならないので、身を引いてしまう、という態度をとるのではないかと思うのです。
そういった性癖もあって、私にとって自分のスピをONにすることの喜びが希薄です。そこをOFFにしておいて、恋愛を成立させてからONにしようということを思っているのですが、なかなか思うようにはならないです。
ところで、上記の教訓については、オリハルさんという方の「生まれる想い」というサイトの「行の進歩に関する考察」というアーティクルを私は参考にしています(ただし大変読みにくいです)。
すずめ さん
「生まれる想い」をちょっと覗いてみましたが、確かに読みにくいですね(色使いも含めて)。
スピをONにするかどうかということについては、今この時点でスピをOFFにした方が良い人も多いです。
端的な例で言えば、科学者はスピをOFFにしないと仕事になりません。科学の世界とスピは異なる世界であり、世の中の事象は、
(1)科学的に説明・分析ができる = 科学世界の事象
(2)まだ科学的に説明・分析ができない = 未科学の事象
(3)科学的には説明・分析ができない = 非科学の事象
の3種類があり、非科学の代表的なものは、芸術・芸能・文学・心理などの世界になります。
スピというのは、この非科学の事象なので、科学世界をなりわいとする人にとっては、スピはOFFにすることが必要になります。
スピは、ONにしなければならないものではなく、スピをどう使うかという姿勢が大切だと思います。
スピより、恋愛の方が大切という時期もあります。カウンセリングでは仕事と恋愛・結婚が多く出てくるテーマですが、そこではスピの話をするより、「ぐずぐずしていないで、早く結婚した方が幸せになる」という話をすることもよくあります。ぜんぜんスピではないですね(笑)
スピと幸せどっちが大切かというと、当然幸せの方です。
つまり、スピをONにするのか、OFFにするのかは、どちらの方が幸せになれるかということが大切だと思います。私のようなスピの仕事をする人の場合、恋愛よりもスピ(が大事)ということになることがしばしばありますが、それはスピの仕事をする人の場合であって、そうでない人の場合はスピをON/OFFで使い分けすることも大切です。
お返事ありがとうございます。
日食の影響ということかどうかわかりませんが、私もモヤモヤした状態が続いています。たとえば私がカツ丼を食べたいと思っていると、唐突に玉子丼を奢ってくれる人が現れる、といったような感じです。微妙にずれています。「玉子丼で我慢しろ」という天のお達しでしょうか。
>科学の世界とスピは異なる世界であり、世の中の事象は、
少々、話がずれる気がしますが、スピリチュアルをONにするかOFFにするか、については、科学とか非科学ということではなくて、「時計」というものにどの程度支配されているかによって決まるような気がします。研究に専念している科学者は「時計」に縛られていないので、むしろスピリチュアルな洞察力を発揮することで、インスピレーションが湧くのではないでしょうか。ベンゼン環の構造式を夢の中で解明した科学者がいたとか。
それから、スピリチュアルの書籍が科学のことを引き合いに出す時は、相対性理論とか量子力学とかを例にあげることが多く、いかにも科学の最先端のそのまた先にスピリチュアルがあるような錯覚にも陥るのですが、どちらかというと、例えば中学校の数学で「χを固定して考える」とか「補助線を引いて考える」といったことをする、そのことが実はスピリチュアルな葛藤を解決する際にも必要な知恵になるのではないかな、と私は思っています。
すずめさん
スピリチュアルな洞察力を発揮することで、インスピレーションが湧くのではないでしょうか
その点については、同感です。
この記事は、あくまでも「草スピ」がテーマということなので、深い議論よりは、分かりやすさを重視しています。
そのため、科学を探求するためのスピまでは、あえて議論の範囲に入れていないという側面があります。