いつか分る時が来る

スピリチュアル

田舎から東京に出てきたのは、19歳の時でした。
その頃から夏休みになるといつも山梨・長野の信州方面に日帰りや一泊で行くのが毎年の恒例になっていました。

県道17号線 七里岩ライン 長坂
正面遠方は八ヶ岳(Googlemap

東京出発なら、道路や鉄道だけでも、東海・中央・関越・東北・常磐、ましてや羽田や成田に行けば飛行機で、日本全国何処にでも行けるのですが、いつも信州方面にばかり行ってました。

ビーナスライン 霧ヶ峰
(Googlemap)

感覚としては、信州方面(高速道路の中央道)方面は扉が開いているのですが、他の方面の扉は閉まっており、信州方面に行くほかはないという感覚。

行き始めた頃は中央道もまだ全通前なので、甲府まで行って国道に降りて行かなければならないという不便さ。
そして、明らかに他の方面にも行く自由はあるのにも関わらず、信州ばかり10年ほど行ってました。

それって、冷静に見れば、ちょっとおかしい(笑)。

この頃はスピリチュアルとか神社には全く興味の無い頃でしたから、もっと楽に行ける楽しい観光地も沢山あるのに・・・

なぜ毎年信州に行くのか?その理由は全く判らないけど、それでも毎年信州に行ってました。

その後、武田の軍勢の一員だったことが判り、それを知り、毎年信州に行くのは、一種の里帰りだったのが分ったのは、10年以上経ってからです。

自分が行っていることの意味が、今わかるとは限りません。

それが分る必要があるまで、その意味は隠されたままで時が過ぎて行きます。

やがてその時が来るのですが、それは3年先かもしれませんし、30年先のことかもしれません。それがいつになるのかはその時が来るまで判らないものです。

なので、自分が行っていることの意味を今全て知ろうとしても、それは不可能なことです。

いつか分る時が来ると想うことの方が大切です。

コメント

  1. hiromi より:

    時々八雲さんのブログ記事に自分の町の写真が出てくると、なんだか嬉しいです。
    流れに導かれてここまできましたが、理不尽なこと、どんなに努力しても認められないこと、自分の成果を他人がさらりと持って行ってしまうこと、立場の弱い自分にミスの原因を押し付けられること、そんな状況でも、何か意味があるものと考えないと、やっていけないのが私たち。。今は見えなくても、必ず意味があるんだという確証を求めてしまいます。

  2. 八雲 より:

    > hiromiさん

    韮崎から始まり長野県境までの山梨県道17号線(七里岩ライン)は、お気に入りの道路です。
    信号もほとんどなく、車も少ない快適な県道なので、わざわざ韮崎で高速を降りてよく走ってました。

    私自身も理不尽と言える経験をしたことがあります。
    理不尽なことが起きるのは、自分自身の深く気づかない所にある、「学ぶべきもの」を体験しているということです。

    それに直面している時は、理不尽に見えると思いますが、それはその次の段階に進むために必要な体験なのです。

    それを学んで糧にした時に、その経験の意味が見えてきます。

  3. hiromi より:

    理不尽なことが起きるのは自分自身の深く気づかないところにある「学ぶべきもの」を体験しているということ。この言葉が酸素のように沁みています。なんとか呼吸ができています

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