非難することは、巡り巡って自分を痛める

今回のトンネル事故について、色々と調べていくと、フェイスブックなどで、道路事業者へ対する非難のコメントを多く見かけます。

一義的には、道路事業者に責任があることは確かです。

しかし、根本的な原因についてまだよくわからないにも関わらず、道路事業者を非難するコメントを発するのは、どうかと思います。

スピリチュアルな立場から言えば、道路事業者も、被害者も、私たちも、同じ立場の人間です。

被害が少しでも少なくなるように願い、原因を突き止めて今後同じ事故が起きないようにすること、被害者の負担が少しでも少なくなるよう祈るのが、我々がすべきことです。

その逆の、道路事業者へ対する、単なる非難は、巡り巡って、いずれは自分を痛めることになります。

コメント

  1. JAZZMAN より:

    こんにちは。
    ツイッターやフェイスブック、あるいは掲示板なども要は道具(ツール)なので、ユーザー個人による使い方次第なのだとは思いますが、Yahoo!などに掲載される政治、事件、事故といった記事について意見やつぶやきをよく目にします。それらを見て思うのは、人ってなんと「(上から目線で)裁く」ことが好きなんだろうということです。口汚く罵っている言葉は頻繁に目にしますし、自分の知識を元に検証を行って「●●が悪い」とか「●●は謝罪すべき」といった断罪する言葉も多々見受けられます。私は、いつもそうした言葉を目にして嫌な気持ちになってしまいます。「自分の顔も名前も明かさず、自分のことは棚に上げてよく言うよ」というふうに。
    私でも不快な事件、不快な政治家が発言する言葉を聞くと、誰かにそれを訴えたりネット上に書き込みたくなることはあります。しかし、一度もそれを実行したことはありません。かつて、政治家について批判的な意見を書こうとしたこともあったのですが途中でやめてしまいました。文章を書いている最中に身体に「ジーン」と嫌なシビレみたいな感覚が走ってだるくなってしまうのです。それって、やはり自分がそいういった行為に拒否反応を示しているということですよね。というわけで、私は未だにツイッターもフェースブックもやっていません。[E:happy01]

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