関東三十六不動霊場を巡って、不動明王から頂いたメッセージを掲載します。
頂いたメッセージは、私の知っている事柄や状況などに合わせて、短い言葉で表現しているため、ブログを読んでいる人向けに、解説を付けます。
第十一番 石神井不動尊 亀頂山 三寶寺
メッセージ: 光は闇であり 闇は光であり 二つのものは同体である
解説: 光と闇(あるいは影と言うこともある)は、相反するものに見えるが、夜明け前が最も暗いと言われるように、これらは一つのものの違う側面でしかない。
光と思っていたものが一瞬にして闇になることがある。光だけを望んでも、いつか闇を経験する。光も闇も同じものであり、同じものの異なる側面を見ている。自分が、良いものと見れば光になり、悪いものと見れば闇になるが、それは自分自身の価値観や世界観を反映しているだけであり、ものを光と見るのか闇と見るのは、自分が決めてしまっているのである。
第十二番 志村不動尊 寶勝山 蓮光寺 南蔵院
メッセージ: 空性は誰にでもある
解説: 空性(あるいは仏性)は、全ての人が例外なく持っている。
つまり、誰しも、まったくの例外なく空となり悟ることが出来るのである。
悟ることができるのは特別な人のみ、というのは、まったくの間違いである。誰でも悟ることができるのである。
第十三番 目赤不動尊 大聖山 東朝院 南谷寺
メッセージ: 難克の山である
解説: 寺の名前が南谷寺なので、それに掛けた言葉になっています。
難を逃れるのではなく、克服することが大切である。
社寺における祈祷などにおいて、難を逃れるというお願いをする人がいるが、難から逃れるても、それは表向きの形を変えてまたやってくるものである。ゆえに、逃れるのではなく、克することが大切である。
不動堂の中に温度湿度計が置いてあったのですが、その時の気温湿度が、32.6度 51%で、窓を開け放した堂内ですらこの暑さなので、酷暑の中を徒歩で不動を巡るのはとて大変でした。夏の酷暑は毎日のことなので言われた言葉は、とても心に染み入るものでした。
そのように難を克する中で、不動明王は大日如来であり、宇宙そのものである。人は宇宙すなわち空と一つになることが道を進む目的である。
第十四番 目白不動尊 神霊山 慈眼寺 金乗院
メッセージ: 光と影を味わう そして離れる すると空である
解説: 光と影を味わうために分離という形を私たちは過去に選択したので、この二つを味わうがまず行うべきことである、そしてその光と影を見ながら自分の意識だけを後ろに後退させると、そこにあるのは空である。
私の場合は目白不動尊の境内で行ってみたのですが、この言葉は文章として読むのではなく、実際に自分でワークしてみると、光と影から一歩引いてその二つを見つめられる所に立つと、そこにあるのは空であるということを体験することができます。
第十五番 中野不動尊 明王山 聖無動院 宝仙寺
メッセージ: 空性は空であり 成るものではない 在るものである
解説: 空性という悟りの種子は、誰もが持っているものであり、空というのは成るとか目指すというものではない。空というのは、既に在るのだから、ただ空であることなのである。
悟りとは、目指すものではなく、ただその状態にあるというものです。目指したり、方法論を考えたり、効率的に行おうとすればするほど、空から離れて行ってしまいます。
「ただ、空である」、それが一番重要なポイントです。
コメント