関東三十六不動霊場を巡って、不動明王から頂いたメッセージを掲載します。
頂いたメッセージは、私の知っている事柄や状況などに合わせて、短い言葉で表現しているため、ブログを読んでいる人向けに、解説を付けます。
第六番 神木不動尊 神木山 等覚院
メッセージ: (知っている人は少ないが) 死こそは最上の贈りもの(送りもの)である
解説: 生存のみを重視して死後の事について無明な現代においては、生きること、時には生きながらえることのみを重視してしまっている。死ぬということは、人が本来の姿に戻ることであり、生きることの体験を満了したということであるから、それこそが最上の贈りものであるということ。
第七番 川崎大師不動堂 金剛山 平間寺
メッセージ: 「一切空である」ではなく、「一切空になる」こと
解説: 仏教の教えの根底に、「空」ということがありますが、「一切空である」ということを知ることよりも、「一切空になる」という実践こそが大切。
知ることも大切であるが、実践してこそ血肉になり、生き方となる。
第八番 飯縄大権現 高尾山 薬王院
メッセージ: 宇宙は空である。大日如来の本質は、これまた空である
解説: 「大日如来とは太陽のこと」という事が言われることがありますが、仏教が起こった頃においては、宇宙とは太陽そのものであるという認識が一般的でした。なので、大日如来=宇宙という意味になります。
私たちが生きている宇宙の本質は空(くう)です。なので、その宇宙そのものである、大日如来の本質も、これまた空であるということです。
不動明王は、大日如来の化身なので、不動明王と一つになるということは、大日如来と一つになることであり、さらに宇宙と一つになることであり、そして、空になるということです。
第八番-番外 高尾山別院 不動堂
高尾山の麓、ロープウェイ乗り場の近くにも不動堂があります。こちらは、関東三十六不動霊場には含まれていないのですが、こちらにも呼ばれて行ったので、番外として掲載します。
メッセージ: 山も里もみな同じ 行を修めるのが山 行を続けるのが里
解説: 一般に修行(あるいは単に、行)というと山に籠って一定期間行うものというイメージがありますが、修行とは一生継続することであり、「学び」と表現することもできます。
集中的に行うのが山であるなら、それを継続させるのが里であり、日常生活の中に修行(あるいは学び)が溶け込んでいることが大切です。
第九番 高幡不動尊 高幡山 金剛寺
メッセージ: 無である 無である 無である・・・
解説: 無になろうとすれば、なかなか無にはなれません。思考するのではなく、ひたすら無であると祈念することが無になる道である。
無心、無私と言う言葉がありますが、空にはなかなかなれないが、無になることが、空への一番の近道であるということ。
対話:
Q 空と無の違いはなんですか?
A 空が原因であり、無が結果である。
空から、有・無が生まれるのである。
第十番 田無不動尊 田無山 総持寺
メッセージ: 「一切空」を体感する
解説: ここでは、短い時間でしたが、すべては「空」であるを体感しました。
突然、「一切空」を体感すると言われて、何の心の準備もなかったのですが、もし事前に心の準備があったら、想像してしまうのでそれを体感することはできなかったと思います。
一切空は、想像を超えた向こう側にあります。
それを言葉にするのは難しく、また間違った認識を与えてしまう可能性もあるので、どんな体感だったのかは、あえて表現はしないでおきます。
コメント
※第六番 神木不動尊 神木山 等覚院へのコメント
良い言葉ですね。
私はそう思います。
投稿:2014/07/18 21:37
※第六番 神木不動尊 神木山 等覚院へのコメント
漠然と感じていたことが明らかになった。
そんな感じがします。
有難うございます。
投稿:2014/07/19 23:23