昔撮影した写真で、神社などを紹介するシリーズ - その5
今から14年ほど前のことです。関ヶ原古戦場は、過去世的に見ても直接は関係しないのですが、私自身が武士の過去世を持っていることから、ある人から依頼されて供養に行きました。
関ヶ原に着いて、近くのホテルに泊まるつもりでいたのですが、ガイドさんに供養の開始が朝の4時と言われ、ホテルに泊まっていたのではとても間に合わないため、古戦場の駐車場で車中泊になりましたが、二人乗りの小さい車なので、シートを倒すこともできず、うつらうつらで朝の四時を迎えました。
自宅に帰って調べてみると、関ヶ原の戦いの本戦が始まったのが4時ごろだということで、どうやらそれに合わせて供養をすることが必要だったようです。
最初に行ったのはこちら。
東首塚
こちらの首塚での供養は比較的楽で、供養をすればスムーズに揚がって行きました。
そして、次に向かったのがこちら。
西首塚
東首塚では、スムーズだったので、こちらも同じだろうと思って始めたのですが、なかなか揚がってくれず、かなりの時間と労力を要しました。それでもなんとか、揚がってくれたので、ようやく終えることができました。
自宅に帰って調べてみると、東首塚は戦いに参加した武士・武将を葬った塚であるということです。武士・武将は、戦うことが仕事であり、ある意味死ぬのも仕事の内であり、覚悟の上で戦いに臨んでいるので、供養をするとスムーズに揚がってくれます。
当時の戦いにおいては、武将の地元や、関ヶ原周辺の農民など、本来戦うことを本業としていない人達も戦いのために連れてこられたりしているのですが、調べてみると、西首塚はそういった人達が葬られている場所だということです。そういう人達は様々な事情から連れてこられたり、強制的に参加させられたりしており、本意では戦いたくない人達なので、供養というよりはむしろ説得するような感じで、時間と労力を必要としました。
同じ首塚でも、スピリチュアルに見た時、背景が異なると全く違った塚になるということです。
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