前編(リンク)では、秩父神社が武甲山頂上に向かって建てられている訳ではないことを書いてきましたが、後編では、何処に向いて建てられているのかについて、書いて行きます。
《武甲山の伏流水》
秩父神社が建つ地域は、武甲山の伏流水が、湧き出たり・井戸でくみ上げられたりしている地域として知られています。現在は枯れてしまった井戸もありますが、今宮神社のように現在も湧き出ている場所もあります。(図は環境省のサイトから引用)
伏流水は、地表を流れる川の水とは違い、不純物や細菌が極めて少ないため水質が良く、また水量も安定しているので、生活用水として優れています。
水は、生活をする上でまず最初に確保すべきものであり、それ故に水や水源に対する古代信仰が存在しています。それらは、後年形を変えて雨を降らせる龍神信仰として続いてきました。
《秩父の龍神信仰》
現在の秩父にも龍神信仰があり、旧暦二月三日の春祭である「御田植祭」において、今宮神社の龍神池から水神を迎える行事があり、そのご神体は藁で作られた龍神です。
武甲山の伏流水がある一体は、古くから住民が定着した地域としても知られており、住民が生活に一番必要な水の神である龍神を祀るということは、生活に必要な水を確保することもでもあり、重要な神事であると言えます。
《秩父の夜祭》
日本三大曳山祭りの一つとして知られる、秩父の夜祭は秩父神社を出発した笠鉾と屋台は、御旅所前の団子坂の引き上げでクライマックスを迎え、御旅所において武甲山に向かい神事が行われます。前編で書いた通り、御旅所が向かっている方向は、武甲山の頂上ではなく、武甲山系の飯盛山の方向を向かっています。
《秩父神社の信仰軸》
自然を読む(リンク)という書籍を見ると、秩父夜祭は、秩父神社-御旅所-大蛇窪という南北軸が夜祭の信仰軸であるとあります。(図は自然を読むから引用)
これをGoogleマップにプロットしてみるとこうなります。
武甲山の伏流水が、どこから流れてきたのかを見る時、武甲山系の山容を見ると、一つの大きな谷があることに気が付きます。(下のGoogleマップでは谷を見やすくするために、南北を逆転しています)
武甲山系の大きな谷すなわち川の中で、秩父市街方向に向かっているのはこの谷だけで、他の谷の多くは隣の横瀬町方向に向かっています。水系マップで確認しても、秩父市街方向に流れる川筋はこの谷だけになります。
なので、秩父市街の武甲山伏流水もこの谷の川筋を流れてきていると思われます。
《大蛇窪はどこか》
大蛇窪の、窪(くぼ)は低い土地を意味します。古い日本語では、漢字が入る前になるので、漢字表記より土地の名前の「音」が優先します。なので、~窪や~久保という地名は、周辺よりも低い土地であることを現しています。
大蛇窪が具体的にどこになるのかは、調べてもなかなか判らないのですが、「窪」という名称と、蛇のようにうねっている地形から考えると、この谷全体を大蛇窪と考える方が良さそうです。そしてその源流の上方には飯盛山があり、秩父神社や御旅所が向いている方向と一致します。
《秩父神社は重層的な信仰体系を隠し持っている》
ここまで見て来ると、秩父神社は古くは水神・龍神信仰から始まり、日本神話の神(諏訪神)や、地元開拓の神(知知夫彦尊)、その後の妙見信仰(北極星信仰)などの信仰が重層している神社であると言うことができます。
その中で、秩父神社は最も古い水神・龍神信仰において、大蛇窪に向けて神社を建てるという形式と、大蛇窪に向かって祭(秩父の夜祭)を行うという古代の形式が残っているのだと思います。
(参考文献)
環境省
平成の名水百選
https://water-pub.env.go.jp/water-pub/mizu-site/newmeisui/data/index.asp?info=19
秩父神社
http://www.chichibu-jinja.or.jp/
自然を読む―森林インストラクターと一緒に読み解く私たちの身近な自然
(絶版のため、書店在庫か古本として入手可能)
著者:大沢 太郎
出版社: 幹書房
ISBN-10: 4944004834
ISBN-13: 978-4944004836
発売日: 2002/8/1
http://www.amazon.co.jp/dp/4944004834/
GoogleMap
https://www.google.co.jp/maps/@35.958521,139.094413,12.5z
コメント