先ほどの、この世界の見方には二種類あるという話の続きです。
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神 界 (2)↓
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霊 界
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幽 界
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人間界 (1)↑
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人生は、「学び」であると言う人と、「経験」であると言う人におおむね分かれますが、前者はTVなどのマスメディアによく登場する人に多く見られ、後者の代表格としては、バシャールがあります。
(1)の視点からみれば、人間は未熟な存在であり、努力してレベルを上げること、すなわち「学ぶ」ことが神に近づくことであるという考え方になります。この考え方は、色んな人に話しても、分かりやすいし、身近な話として受け止めてもらえます。
(2)の視点から見れば、人間は元々は神であり、神が能力を制限したのが人間という存在である。全知の神がいまさら学ぶということはないから、肉体という制限を新たに「体験」しているのであるという考え方になります。この考え方は、スピリチュアルな知識がない人には、受け止めにくく、分かりにくい話になりやすいところがあります。
ここでは違いを明確化するために、こういう表現をしていますが、(2)の体験というのも一種の学びであるという考え方もあります。
まぁ、人の数だけ考え方は存在するので、どれが正しいとか正しくないということは、ありません。自分にフィットする見方・考え方で、この世界を理解するというのが大切です。
(独り言)
こういうのって、(1)か(2)のどちらか一方の見方のみで、断言してしまった方が話としては、受けがいいし、理解しやすくなるのだけど、私の場合片方だけでは面白くない(!?)ので、両方の見方を比べてみたくなるんです。
こういうのは、メタ(meta-)な話なので、メタ・スピリチュアルと言ってもいいのかもしれません。
コメント
お久しぶりです。すずめです。
>人生は「学び」なのか「経験」なのか
私がよく葛藤することと、近いところもあるような気がして、コメントします。
まず、物事を何事もスピリチュアルな観点から見ようとするのは間違いだと、教わったことがあります。例えば、スポーツの大会に出て勝ったり負けたり、コンテストに応募して入選したり落選したり、といった時に、それは実力だったり、大人の事情だったり、単に運不運だったりしますが。
やはりついつい、そこにスピリチュアルな意味を求めてしまい、占星術を援用してみたり、タロットカードをひいてみたりして、自分をなぐさめてしまいます。
なぐさめてしまうと言いつつも、たとえば、自分の魂は前世に成功体験を重ねてきているので、今世においては特に頓着していないのだ、他の魂のために学びの機会を譲るのだ、みたいなことを思ってみたり……。
あるいは、これは無念の共有であり、供養の一様式なのだと思ってみたり……。
その反面、私達の魂は、実は一個の魂というだけでなく、いくつかの魂が寄りあいになって、器の中に収まっているという見方もあり。だから、まだ若い魂の側面からみると、「もっと目に見える実感が欲しい」と思う側面もあるような気がしています。